302日目(2023/12/27・水)
宮之城暮市
筆者がTwitter(『X』とは意地でも呼ばないぞ!イーロン・マスク!!)やnoteに画像を投稿するにあたり気をつけていることは、肖像権です。
不特定多数の一般観覧を想定しているような催しは格別、一般の買い物客等は顔が写り込まないように気をつけております。
また、祭りの舞台発表であっても、小中学生が演舞するものについては投稿を避けるような運用を行っております。
急に何を言い出すんだ?と思われたかもしれませんが、要は、上記の投稿写真はピントが手前の標識に合ってしまって後ろの風景がボヤけておりますが、意図的に来場者の風貌が特定できないような写真を撮影した訳でございます、という釈明でした。
では、長い前置きはさておき宮之城暮市の話に参りましょう。
筆者は朝6時10分頃には習慣的に目が覚めてしまうのですが、今朝は起床時には既に外から何やら話し込む声が聞こえて参りました。
どうやら暮市に出店する屋台の人たちのようで、ハッキリとは聞き取れませんでしたが断片を繋ぎ合わせると、車の駐車場所と動線の確認をしているような会話でした。
朝6時に現場に臨場しているとは、一体何時起きなんだ!?お疲れ様です!
会場となる盈進小学校前の町道は午前7時から交通規制となり歩行者天国となりました。暮市の開始時間は8時からだったのですが、一段と賑わいが感じられたのは10時の軽トラ市と百縁祭の時間帯であったように思います。
暮市と言いましても、特筆すべきことはあまりなく、変わったものと言えば午前中にスピーカーを使った交通安全の呼び掛けが行われていた程度でしょうか。
しかしながら、ただ単に出店とキッチンカーが並んでいるだけでも子ども達にとっては楽しい非日常空間だったようで、そこら中に5人程度の輪ができていて、何か食べながら話すなどしている様子でした。
この他気になったこととしては、出店が片側に偏って並んでおり、反対側の縁石に腰掛ける中高生が多く見受けられたので、長居も良くないのかもしれませんが、せめて食べ物を購入した人くらいは机について食べることができたら良いのになぁと思いました。
出店している方の多くが、お祭り専門で遠征している、いわゆる的屋の方達のようで、パイプ椅子やら長机やらを人手を割いて用意したところで地域に収益は生まれないのかもしれませんが、寒空の下に道路沿いの縁石で屋台料理を食べるのも酷な気がしますので、毎年の恒例行事のようですから地域の活性化も図れるようなテコ入れを考えても面白いかもしれませんね。
行政が主体の催しは「宮之城」から「さつま町」へと看板をかけ替える傾向があるように思われますので、「宮之城暮市」は主催は「さつま町商工会」とされておりますが、中でも旧宮之城町商店街が中心になって運営してきたものなのかもしれませんね。
「かもしれません」と言うのも無責任な言いっ放しに思われる読者の方もおられるでしょうが、合併後の各種催しの名称変更の審議過程に興味はありつつも、如何せん合併後15年以上経過しても町史の発行もない現状ですので、後発の筆者としては、憶測で物を語らざるを得ない状況となっております。
今回は初めての暮市散策でしたので、どんな雰囲気の催しかを見る回であったという事で、これを踏まえて商工会の方と今後お話する機会がございましたら沿革などもお伺いできれば良いなと思います。