専業時代の話 1〜5 まとめ

第1話 2007 ピン専業

初めてピン専業として設定狙いした台が、「エヴァまごころを君に」。
東京T駅前の激戦区に代打ち軍団員を卒業した僕が飛び込んでいた。
あの頃はイベント告知やり放題。
前日告知で全456確定。
並び順だった、、初ピン設定狙いで始発で並んだのを覚えている。

開店と同時に走った。
激戦区の洗礼なのか後続に抜かれまくった。→この頃はまだ若干無法地帯。
座れた。狙いなんてなかった、ただ空いているエヴァに座った。

4000枚流した。安堵感でいっぱいだった気がする。
何故か学生時代の友人に電話した、、自慢したかったのだろう。
が思いもよらない展開へ


第2話 スロット仲間

エヴァまごで4000枚流して安堵感の次に来たのは承認欲求だった。
学生時代の友人に電話した。

「俺今スロットで生計立ててるんだぜ!」みたいな感じだった。

「いや、俺もだけど」

頭が真っ黄色になった。嬉しさと高揚感で笑い泣きしたのを覚えている。
それぐらいに寂しかった。

ノリ打ちしよう!!
勿論承諾された。

初のノリ打ちはゾロ目イベント。アイムジャグラー全6の為に朝から並んだ。
開店でアイムジャグラーが専業達に埋め尽くされていく、凄い光景だ。
2020に前日告知等価アイム全6並びだったら、何時に並ぶのだろう。

その日はちょい+だった
翌日 激戦区 神奈川県溝の口へ向かった


第3話 今も昔も

アイムジャグラーを打ちそのまま翌日の稼働地域まで単車2ケツで向かった。
場所は当時激戦区の神奈川県溝の口
ライタープロなど今でも見かける事があるエリアだ。

狙いはA店のシェイク2とデビルメイクライ
2007のスロはAタイプ全盛期。

この日は雀荘で麻雀をしながら夜を明かした、、

2人共麻雀が凄く好きだった。
明日のイベントの為に早朝スロ専業が集まってくるそんな雀荘だった

仮眠をとってA店へ、この頃は強いARTがまだなくAタイプに設定が使われていた
シェイク2に座り片方当たり

2人で2ケツで数十キロドライブして帰宅した。

この頃が人生で一番楽しかったかもしれない。友達とスロ→麻雀のループ。出会う人全てが異質異業で新鮮だった。
雀荘で弁護士、医者と同卓して仲良くなったりもした。

が母になんの仕事をしているかは伝えられずにいた、、、
スロで生計をたててると伝える決意をした。


第4話 以外にも

母に伝えよう。
僕は片親で父のギャンブルが理由で中学生の時に離婚していた。

そんな事もあり母に伝えていなかった。
月5万入れていたが、
相方から「そうじゃないだろ」
コイツに言われていなかったら、今でもずっと言わなかったかもしれない。

でいざ母に伝えてみた

稼働から帰宅した夜に母に打ち明けた。
「俺今バイトじゃなくて、スロットで金稼いでるんだ」
→「ふーん、家に金入れてくれればいいよ。他人にだけは迷惑かけるな」

泣かれたりしたらどうしよう、みたいな感じだったがそれどころか【やるなら勝て】みたいな事を言われた。

こんな親他にいんのかなと思った。
が今考えると全てバレていたのかもしれない。

で2007年のスロット生活は1年目は「エヴァまご」をひたすら打った1年だった。半年の稼働で190万ほどの収支だった。

そして2008年。ヤマサから時代を動かした名機が誕生する事になる。


第5話 時代を切り拓いたヤマサ

2008年が始まった。前年の収支には若い新米ながらよく頑張ったんだとその時は思っていた。

1月〜4月はエヴァまご、ジャグラー 、北斗将、ハナハナなどを打ち続けていた。
イベントを探せば毎日エヴァまごの6に辿りつける、知っていれば激甘な時代だった。

そして5月、
【パチスロキン肉マン】がヤマサから導入された。
はっきり言って最初は食い付きが悪かった。

専業達もAタイプを打ち続けてきたので毛嫌いしていた。
が解析が出た瞬間、設定狙いに飛びつくようになる。
6がめちゃくちゃ分かりやすい事が判明した。

そこである期待値に??になる。

マッスルタイム→MTを目指してBGで突入させる。ようはバジリスク絆だ。
「MTをスルーし続けるとMTに入りやすい救済モードにいく」
後に救済モードが3500円の期待値が判明。

相方と設定狙いをしながら、救済モードを狙う。そんな日々を過ごしていた。

が他にも狙う輩が出てきた、、、


いいなと思ったら応援しよう!