お墓の話
ウチの先祖は源平藤橘でいえば、家紋が下り藤なので、藤原家である。といっても私の祖父は私生児であったので、血は源氏、安芸源氏の流れを汲んでいるといつだったか、叔父から聞かされたことがあるが、何のことはないただの百姓である。落ち武者だったのだろう。そんな人は歴史上、数多くいたのではなかろうか。
広島市佐伯区の河内の山奥に小さな土地を所有していたらしく、10年ほど前に市のほうから確認がきたが、叔父にまかせてほったらかしにした。どうやら中岡家の墓があったらしい。道理で小さな土地なはずだ。
今の墓は、祖父が家のわりかし近い所に造って、育ての親用と自分と自分の子孫用に2つ並んである。墓の状態からみると、若い時分に、親用を造り、後で自分用のを造ったようだ。同じ墓には入りたくなかったのだろう。
祖父の育った環境が察せられる。
さて祖父が建てた墓にはあと何人入ることができるのだろうか。墓の収容人数をググってみた。6~8、うまく入れれば10まで可能なようだ。それなら全員入るから新しく墓を造らなくてもすみそうだ。祖父から数えれば、うちの息子が四代目になるわけだが、息子が考えればいい課題である。
そもそも墓に入るという発想自体がもう古いのかもしれない。石原慎太郎は海に散骨したし、樹木葬というのもある。死んでしまえば、一緒だ。妻は海に散骨してほしいといってる。
現在、母が長生きで頑張ってくれているが、母がいなくなれば、広島とも疎遠にならざるをえない。こちらはこちらで小倉に住まないといけない事情がある。なかなか墓参りも何年か一度くらいになってしまうのだろう。
そうすると、妻がいうように海に散骨するのが、手っ取り早くて、後々もいいような気がしてきた。海はずっと繋がっているのだから、散骨した場所にこだわりさえしなければ、海に向かって拝みさえすればいい。
人生100年時代。そう考えるとまだ随分先の話のようでもあるし、それは明日かもしれない。ただ日々を過ごしていくだけのことである。
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