コメ
幕末、吉田松陰の江戸出張費は1日、米4合5勺であった。周知のとおり当時の日本の経済はコメ本位制であるが、はたして4合5勺、高いのか安いのか。1日そんだけ食えねえよ、と思われる方もいらっしゃるだろうが、この支給には副食物、つまりおかずは含まれてないのである。この4合5勺を魚か何かと交換するかしないと、米だけ食べないといけなくなってしまうのである。
千と千尋の神隠しで、千の相方の女が朝飯をもってくるシーンがあったが、ごはんと香の物だけであった。明治初期、庶民の食生活はそんなものだったようだ。実は縄文時代より栄養バランスは悪かったらしい。
司馬遼太郎作の「坂の上の雲」でも主役の秋山兄弟が1つの茶碗でかわるがわる飯を食うシーンがある。司馬さんのフィクションかもしれないが、それはかさ地蔵にある「すっぽりめし」であった。「すっぽりめし」とはおかずもなにもないコメだけを食うということだ。
日清日露戦争に従軍した外国の記者たちは一様に書いている。「日本兵は握り飯だけで、勇敢に戦う」と。
とはいえ、そのコメさえ食えない人たちもたくさんいた。幕末、土佐の脱藩浪士が京で白米をみて「これはなんだ」といったらしい。はじめてコメをみたのである。その男は涙を流しながら「うまいうまい」と飯を食ったそうである。
「すっぽりめし」は今でこそ貧乏くさくうつるが、当時はご馳走だったのである。
妹尾河童の「少年H」終戦直後に主人公が久しぶりにコメを食う場面。「御飯に塩をちょっと振りかけただけで、オカズなしで食べた。こんなに白米がウマイものかと感動した。三杯目の最後の御飯には醤油を少しだけ垂らした。まるでかつて食べた親子丼に負けないぐらいの美味しさを感じて、危うく涙がこぼれそうになった」とある。
一方最近では、コメは味がないといって食べない子供がいると聞いてビックリした。食の欧米化が進んでいるようだ。味の濃いいものを食べている習慣があるためか、コメの味がわからなくなってしまったのだろう。
コメを食べると太る、糖尿病になる、といった話をよく聞く。炭水化物ダイエットは確かに効果があるらしい。
そんなこんなで、コメの消費量が減っているらしい。
明治時代ではないのだ。栄養のバランスは考えて食事はしなければならない。平均寿命もずいぶんとのびた。100歳ごえがわんさといる。しかしである。この人たちはコメを食って今日まで生きてきたのだ。そう考えるとやはりコメは大事だな、と思うのである。
日本人はコメを食ってこそ、日本人である。