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乳歯
50歳近くまで、乳歯がまだ残っていた。永久歯が、そのため生えてこなかった。乳歯は隣同士の永久歯に追い出されるように、前に出てグラグラしていた。
歯医者に行けばいいものを50歳近くまで、そのまま放っておいた。
それが母の誕生日にフランス料理のランチを食べに行った時、肉を齧った瞬間、乳歯が外れて、肉と一緒に口の中で泳いでいた。
肉と歯を舌で判別しながら、僕は外れた乳歯を口の外に出した。僕の口の中は、乳歯が存在していた箇所だけが歯抜けになった。
妻が変だから、歯医者に行って、義歯をしてもらったらいいといったが、面倒くさいので、行かなかった。
人相学的に運が悪くなるよ、ともいわれたが、市川崑映画監督を見よ、煙草をくわえるのに、わざと前歯を1本抜いているではないか、とあまり知られていないようなウンチクを披露して、拒否した。
やがて歯と歯の間の隙間に隣同士の歯が傾いてきて、人相が変になるとまでいわれたが、確かに隙間はそのせいで、狭くはなったが、人相に変わりはなかった。
今では広い隙間程度になって、義歯を入れようにも狭くて入れられない状態になっている。
食事をするとき、やたらにその場所に、食べ物が挟まってとても不快な気分になる。もっとも、もう年寄りなので、どのみち他の歯も食べ物が挟まって不快になるのだけれど。
さて運勢が悪くなったかどうかは、一概では言えない。見ようによっては幸せだし、見ようによっては不幸だからだ。
バセドウ病になり、うつ病になり、休職し、結局退職した。何と不幸な、と思えないでもないが、そのおかげで、意外とおカネが入ってきて、働いているよりは儲けているのである。しかも会社に行って働かないでいいのである。
病状は確かに最初は寝てばかりで、きつくてどうしようもなかったが、薬が効いているのだろう。今は結構平気に何でもできる。もっとも長時間何かをしようとすると、かなりしんどいのではあるが。
病は気から。喉元過ぎれば熱さ忘れる。万事塞翁が馬。ものは考えよう。
今は失業手当を貰いながら、職をあまり探す気もなく、ハローワークに月に1回行っている身ではあるが、結構幸せに暮らしている。