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カレーライス

 妻が妊娠して産院に行く時はなるだけ2人でいくようにした。仕事があるので、なかなかうまくはいかないが。エコーでお腹の中を見る。そしていつもその度に先生から「今これくらいの大きさですね」とキューピー人形をくれる。行く回数ごとにくれるキューピー人形は大きくなる。
 エコーの黒い塊が動いているのがわかるようになると、おちんちんを三人で探す。男女の区別を確認するのは血液検査か何かをするのかと思えば極めて単純な目視であった。すぐに立派な突起物を発見する。
 1995年10月15日夜。妻が産気づいた。初産ならともかく、慣れているので、妻自身は落ち着いたものだ。
 病院に行く前に風呂で髪を洗いたいから洗ってくれ、という。いわれた通りにする。以前よりお腹が大きくなったら夫が妻の髪を洗うものだと教育されてしまっていたので、驚きはしない。
 髪を吹き上げ車に乗せて病院へ急ぐ。遠くはない。ただし時効だからいうが、酒を飲んでいた。
 病院でしばらく別室で待たされた。隣では、病院の先生と女性との間の会話がもれ聞こえていた。
「堕ろしたいんです」
「後悔しませんか」
 そんな暗い内容だった。こっちは今から生まれてくる赤ん坊をハラハラしながら待ってるって時に。
 しばらくして出産室へ運ばれた。苦しむ声。緊張が走る。ハサミでアソコを切る音が聞こえる。出口を広げるためだろうか。
 10月16日午前3時46分、「うそようそよ」と聞こえる(そう聞こえたんだからしようがない)産声だ。
 看護婦さんがでてきて、僕になにかを手渡した。妻のパンティだった。それから中に入り、子供と対面、妻に「おめでとう」とひとこといった。
 3570gでっかい赤ん坊だった。
 落ち着くと僕は家に帰り、カレーライスをたくさん作った。なぜなら娘がいるからである。カレーなら日持ちもするし、朝昼晩食っても文句はいわないだろう。そう考えたのである。
 果たして娘が朝になり起きてきた。赤ちゃんが生まれて、今病院だということを告げた。娘も大喜びだった。
 僕はそれから病院へ行って仕事に、娘は小学校へと向かった。
 仕事が終わると、真っ先に病院へ向かった。そしたら娘がいた。学校からまっすぐに病院にきたらしい。「晩飯は、どうした」と聞くと、妻の病院食を食べていた。量が多かったらしく、2人で食べたようだ。おやつで買ったメロンパンも。
 妻が入院の間、そういう生活が続く。朝病院にいって、夜病院にいって娘と一緒に帰る。娘の晩飯は妻の病院食。
 そうなるとお気づきであろう、カレーライスが減らないのである。毎日カレーを食い続けた僕は、3日もすれば飽きて、妻が退院するころには、すっかりカレー嫌いになっていた。
 赤ん坊を見に来た父親と母親と妻がおいしそうに僕が作ったカレーを食べてくれていた。
 
 
 

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