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山頭火
種田山頭火は58歳で脳梗塞で客死した。丁度今の僕の歳だ。師匠筋に当たる河東碧梧桐の故郷、松山で。長年の飲酒が祟ったのだろう。とはいえこの時代(昭和15年)平均寿命も低かった。そう考えれば、それほど早死にしたというわけでもないだろう。
酒ばかり飲んで無一文で、乞食の放浪の生活をしながら、日本各地を彷徨った。
彼の句は自由律俳句といい、正岡子規の弟子である、河東碧梧桐が始めた。要するに五七五に縛られない、季語にも縛られない自由な句を詠んだ。
碧梧桐の弟子の荻原井泉水門下で、評価されていく。
彼は若き頃から、母親の井戸への投身自殺、父親の事業の失敗による消息不明、それにより弟二郎の自殺等、不幸が続いた。本人も大学を神経衰弱にて退学、結婚するが、自分も商売を失敗し、離婚、出家、波乱万丈の人生を送っている。50歳の頃には自殺未遂を起こす。
常に酒を欲し、アル中であったらしい。しかしそのなかから出てくる彼の句には、人生の悲しさと、淋しさと、自然に対する優しさが潜んでいるような気がする。
うしろすがたのしぐれてゆくか
どうしようもない私が歩いている
あるけばかつこういそげばかつこう
ほろほろほろびゆくわたくしの秋
分け入つても分け入つても青い山
ゆうぜんとしてほろ酔へば雑草そよぐ
酔うてこほろぎと寝ていたよ
この旅、果もない旅のつくつくぼうし
おちついて死ねそうな草萌ゆる
生死の中の雪ふりしきる