我が人生
そういえば自分のことでまだ書いていないことがあった。そりゃあいくらでもあるだろう。人間黙っていることの1つや2つ以上あるに決まっている。
大学を卒業した後、広告代理店に勤めることになった。佐世保支社に配属になった。3か月で嫌気がさし辞めてしまった。広告代理店とは名ばかりで、新聞広告の地方欄の枠を埋めるのが仕事であった。ほぼ名刺広告で埋められた。広告を出す側も嫌々出してる感があった。新聞の地方欄の下1/4を小分けして売るのである。
会社を辞めてから福岡に戻り、アパートを借りて、学生時代お世話になったデパートの人事部の人に縋って、就職が決まるまで、そこでしばらくアルバイトをすることにした。
実は僕は学生時代から新聞社へ就職したくて、それ1本に絞っていた。某新聞社は最終面接で東京まで行って、面接で緊張してやらかしてしまったが、他の新聞社は匙にも棒にもかからなかった。
大学を1年留年して再度挑戦したが、叶わず、それで広告会社に就職したのだが、結局辞めてアルバイトをしながら、また新聞社を受けることにした。
見事玉砕した。最終的にホームセンターで求人があったので、受けてみた。デパートで接客業は慣れていたので、何となく馴染を感じたのだろう。
そのホームセンターに33年間お世話になることになる。最初はいつでも辞めてやるくらいの気分でやっていたが、結局ズルズルといた。途中仕事が面白くなってきたこともあった。
そして今に至る。まさかのうつ病発症で、定年まで在籍することはなかったが、それはそれで結果論だが、よかったのかもしれない。収入は傷病手当やLTD保険、失業給付でなんとかなったからである。
今思えば、うつになるくらいだから、新聞社なんかに行っていたら、すぐに駄目になっていたろうなあと思っている。神様はなるようにしか導いてくれない。お陰様でよき伴侶と子供に恵まれて、うつながら、幸せに暮らしている。