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岡林信康
20年ほど前だったろうか、若松のお祭り、港まつりに岡林信康が来たのは。フォークの神様である。
杉下茂のことではない。中日ドラゴンズの初代エース杉下はフォークボールでフォークの神様といわれるようになった。川上哲治が「捕手が取れないような球を打てるか」といわしめた。
話がいきなり飛んで申し訳ない。岡林信康はフォーク、音楽のフォークの神様だったのである。吉田拓郎や井上陽水が出てくる、ほんの4年前のことである。
「私たちの望むものは」「友よ」「山谷ブルース」「手紙」「チューリップのアップリケ」等々ヒット曲を出し、一時はトップ10の中に数曲入るくらいの勢いだった。TVには絶対出ず、当時の動画はほとんど残されてはいない。ちなみに岡林のバックバンドを務めていたのが、はっぴいえんどで大瀧詠一、細野晴臣、鈴木茂、松本隆らであった。
前説が長いが、その岡林信康が、田舎のお祭りにやってきたのである。誰かの伝手でもあったのだろうか。
港まつりも炭鉱が盛んな頃だったら、景気も良く、人気の歌手なども呼べるくらいはあったのかもしれないが、大学のアマチュアのコンサートほどもない観客を前にして岡林は歌った。
エンヤートットのリズムに当時凝っていたようで、これがまた全然売れない。それでも自分の気に入った音楽に突き進む、商売主義じゃないところが、昔気質のフォーク歌手であった。ここで昔のヒット曲でも歌えば少しは盛り上がるものの、一切歌わなかった。
僕は文房具屋に色紙を買いに行き、戻ってきた。丁度コンサートが終って舞台から降りたところをつかまえて、サインをねだった。妻が言った。
「神様サインを下さい」
岡林は少しムッとしたように
「わしは神様なんかじゃない」
といいながらもサインはしてくれた。
サインは当初壁に貼っていたのだが、いつのまにか押し入れの天袋の中に大事にしまってある。
岡林は昔の栄光に引きずられることなく、今も現役で細々と活躍している。吉田拓郎が引退したのとは、まるっきり違う道を歩んで。
ちなみに2人は同じ歳である。