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トイレットペーパー(ショートショート)
シャワートイレが壊れた。何故俺の時に限って。もともと壊れていたのかもしれない。ここはショッピングモールのトイレの個室の中である。
とにかく水が出ない。乾燥機能も作動しない。電源が切れてやしないかと確認してみたが、その様子もない。
カーボンニュートラルの一連の施策で、紙という紙がこの世から消えた。本や雑誌、新聞、漫画、チラシ、葉書、手紙、会社の書類、権利書、店のメニュー、乗車券、日本銀行券、神様のお札、御朱印、芸能人のサイン色紙、ありとあらゆるものが電子化された。
トイレットペーパーも容赦はなかった。乾燥がついていれば、紙はいらないでしょう、という一方的な論理で、押し切られてしまった。もしシャワートイレが壊れたら、あるいは電気のない僻地でトイレを使う時は困るではないか、という意見も出されたが、相手にされなかった。その先は自分たちで考えろ、とでもいわんばかりだった。
俺は考えた。どうすべきか。こんな時のために、ショッピングモール側も何か対策を講じているはずだ。トイレの個室を隅から隅まで確認してみた。するとそこまで凝視するほどもなく、緊急時のボタンが、あった。
俺は早速そのボタンを押した。すると係員らしき男の声が聞こえてきた。
「はい、どうしましたか」
助かった。俺はほっとして事情を説明した。係員は「すぐそちらへ行きます」といって会話は途切れた。
少し待つと、係員がやってきて、トイレのドアの開いている上の方から、トイレットペーパーが顔を出した。係員が持ってきてくれたのだ。
「受け取ってください」
さっきの人の声だ。紙は我を見捨てなかった。捨てる紙あれば拾う紙ありだ。あるところには紙はちゃんとあるのである。
この政策が国会で通った瞬間、スーパーやホームセンター、ドラッグストアからトイレットペーパーが消えて久しい。一時期奪い合いで買っていたトイレットペーパーは本当に生産をやめたのか、市場に出回らなくなってしまっていた。
本当に久しぶりにトイレットペーパーを見た。俺はその紙で思いっきり贅沢に紙を取り、尻を拭いた。シャワートイレに慣れている俺には、拭いた瞬間、何とも言えぬぐにゃっという便の感触が気持ち悪かったが、ものすごい贅沢をしている気分に浸れた。
やがて選挙で与党は敗れた。トイレットペーパー選挙といわれた。ちなみに選挙用紙は、紙だった。