大学時代
K先輩たち4年生が卒業すると、焼酎的な色の夜はだんだん薄れていった。代わりに僕らは自分たちの下宿で飲んだりしていた。そっちのほうが安上がりだからである。4年の先輩にはおごってもらってばっかりで、お世話になりました。
飲まない時はファミレスに行ってコーヒーを何杯もお代わりして、しょーもない話に花が咲いていた。
Y先輩とS先輩が車で夜中、迎えに来てくれてファミレス、ロイヤルホストにいくのが定番だった。何の話をしたのか、ほぼ記憶がないが、よくコーヒーだけで、あんなに話があるものだと感心してしまう。時にJ先輩とドライブに行くこともあった。会話の内容はほぼ忘れたが、当時僕はクラブを一旦やめており、それで心配して遊びに誘ってくれたのだと思う。
しばらくするとI君がT先輩から車を譲り受けて、毎晩ドライブに行くようになった。鏡山や下関まで行ったこともあるし、定番は志賀島だった。なぜか夜景で有名な油山には彼とはいってない。
そのうち僕も車を所有し、2台でクラブの下宿住まいの女の子を誘って夜のドライブに出かけたこともたびたびあった。
勿論飲み会も伝統を受け継がないわけにはいかない。後輩を潰す目的のコンパは何度も開かれたが、1回酔っぱらってやばい状態の奴が出て、あれは救急車呼ばなくて済んで本当によかったな、と今思えばゾッとする。
現在の大学生はコロナのせいで、飲み会どころではないだろうけど、コロナがなくても、大人しいものだそうで、未成年に飲ませるなんてもってのほかである。コンプライアンス重視である。
自分が4年生になると、1年生を下宿に呼んで、飲んでばかりいた。1年生相手に飲み比べしたりした。馬鹿である。1度、1年生の下宿で酔っぱらって階段を落ちたことがある。全然成長してないのである。
何にしても大学時代、勉強もせずに夜は遊び惚けたり、飲んで酔っ払ったりと、おかげで成績はさんざんであった。ABC評価だったのだが、たいがいC線上のクリアだった。余談ながらキリスト教学だけは4年間Aだった。うちの大学はプロテスタント系なので、そんな科目があるのだ。他がCばっかりでキリ教(キリスト教学を略して)だけがAなんて、かえって就職によくねーんじゃないか、と友達にいわれた。世界史が得意だったので、キリ教は勉強しなくてもできたのであった。
おかげで就職浪人することになった。自分が入りたかった会社に入れなかったからである。この件は別の稿で触れたので書かないけど。