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heureuse
広島カープ
広島カープというプロ野球の球団が広島にある。MAZDAがオーナーのように居座っているが、市民球団である。新球場も樽募金を募って足しにした。そもそもカープは発足当時から市民球団で、樽募金で球団の運営をしていた。原爆で傷ついた広島の地を活気づけようとした。
当然ながら樽募金で運営しようなんて球団が強いはずはない。いつも弱かった。スポンサーに東洋工業(MAZDA)がついてから、幾らか経営がプロ野球らしくなったものの、カープは市民球団であり続けた。
昭和50年、念願のセリーグ初優勝を遂げた。当時広島に住んでいたのだが、屋台の鯛焼きが10円で売られた。他にも嬉しや優勝セールで損丸出しで、商店街は賑わった。
今でもあの優勝の瞬間は憶えている。友人の家のTVで見ていた。巨人戦だった。ドラゴンズファンである僕としては悔しい限りではあったが、仕方ない。広島の街はカープ1色になった。
あの時程、街が一体化した時期はなかったように思う。いい経験をさせて貰えたと思っている。
ところで僕以外気づいた方もいらっしゃるかもしれませんが、当時の広島カープのレギュラー選手の背番号を全部足すと、古葉監督の背番号72になるということ。これはまさに神がかりだったのかもしれません。
1番大下背番号1,2番三村背番号9,3番ホプキンス背番号6,4番山本浩二(昭和49年まで浩司。僕の高校の大先輩)背番号8,5番衣笠背番号3,6番水谷背番号4,7番シェーン背番号5,8番水沼背番号22、そしてエース9番外木場背番号14。いかがであろうか。