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結婚はゴールではなく、ひたすら続く訓練|「結婚とはこうあるべきだ」という #呪いを解く冒険

結婚が窮屈に感じるのは
ビジョンがないからかもしれない


さてさて、掃除、洗濯、食事、親の介護のために結婚したいという男性がまだまだたくさん多いという話を、SNSなんぞでお見かけしては驚く、令和3年目も終わりそうな今日このごろ。それに対して、令和の夫のあるべき論もあちこちで見かけます。

「昭和」「令和」とカテゴライズされた結婚の風景は、わたしにもオットにも、どれも窮屈で現実的ではないんだよなぁ。本当はどこを目指すと幸せなんだろう?と考えたので書いてみます。

ちなみに、この記事を読んでいろいろ思った。↓


そもそも「令和の夫らしさ」という定義は必要なのか?

そもそも、「肩書きと役割を結び付けない」というのが家訓なわが家にとって、「夫らしさ」「妻らしさ」という定義が成り立たないことに気がついた。わが夫婦においては、わたしの方が肩書きの呪いが強めなので、うっかりすると定義に足元を救われがち。

結局のところ、旧時代的な夫、現代の夫、みたいなカテゴライズをしていくと、どうしてもカウンター的に旧時代と比較しての「こうあるべき論」になりがちだなぁ、と自分の思考回路を観察していても思うことが多いのです。

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