僕と麻雀 1浪編3本場
「対外試合」
パンドラの箱は開けられた!僕は茶屋町での1戦を機に同じ予備校内で様々なクラスの麻雀できるやつと打ち始めた。場所は予備校のある十三の毎日クラブ、クラブ淀、風月荘。たまに梅田に出たらクラブ茶屋町、明大。残念ながらもうどの店もない。
対戦相手は、高校の同級生だとH衛とダイマ。K学院はSご,Pちゃん、Iおなんかとよく打った。J心のM、R学院のアキオ、K千里の大ちゃん、K野のI川(中学時代の同級生)、大教大IのHせい。T高のMかや(中学時代の同級生)、Nす、スリナム帰りのM野?(名前がイマイチ思い出せない)。色が黒くて目がギョロっとしていたクロちゃん(クロマティに似ていた。本名は知らない)。他にもたくさんいた。ほとんど理系クラスに所属していた。
麻雀を打ち始めるということで雀荘に行く。隣にも予備校生グループがいる。今度一緒にやろうと声をかける。これを繰り返していくうちに、なんだかんだで1ヶ月に25日は打つようになった。そして23日くらいは勝っていた。そして少しずつ評判になり、挑戦者がどんどん出てくるようになった。そしてそれも全て返り討ちにした。勝負に対する執念は、この頃から23、24歳くらいまではかなりあった。とにかく負けないように、最後まで諦めなかった。すると、奇跡的にアガリを拾えたりもした。
現在は勝負に対する執念はほぼない。まあ勝っても負けても時の運くらいに思ってます。
十三での麻雀では刺激が足りなくなってきた。それは相手の力量もわかり、勝敗の予想がつく。駿台に通っていたテツに連絡を取り、久しぶりに打つこととなった。場所は茶屋町だったか明大だったか思い出せない。他のメンツはI川と大ちゃんだったかなぁ。梅田に出て打ち始めたあたりから、よその予備校生とも打つようになった。高校の同級生はミズさん、ギジ、O岡、K波(中学の塾の同級生)。K学院はもっちゃん、シャーク。大教大Iのマッキー、Fしま(マッキーへ、慶應に行った積み込みする子ってFしまだっけ?)。N川の3人。N園はギジと同じ予備校で、この頃に知り合った。他にもたくさんたくさんいた。
朝から打つのが決まった日には、梅田の雀荘に現地集合。予備校のある十三へ、阪急電車に乗ってまで行くことはなくなる。そうして、高校時代の後半に近い、学校=予備校<麻雀という生活になった。
そんな中、7月初旬にあった夏期講習の特待生テストでまた全額免除を勝ち取った。これは、この年の1月から4月までの貯金だと思う。チューター室でI上の机の上にあったテスト結果を見たことがある。入塾テストも夏期講習のテストも数学は満点だった。数学だけは好きだった。今は、この数Ⅱはほぼ解けないんだけど。
対外試合をたくさんしているうちに、僕は「仕切る」というスキルを身につけた。初対面の相手と打つのに、ルールや罰則規定やチョコレートの数なんかを決める。他人に任せておくと時間がかかるのと曖昧だった。僕は毎日のように打っているので、そのルールをベースとした基準を持っていたので決めやすかった。
そうして仕切っていたことは、雀荘を経営し、他の雀荘さんと一緒に大きなイベント開催したり、同窓会をするのに役に立つこととなった。なんでも経験を活かすか殺すかは本人次第ですね。