僕と麻雀 2浪編6本場
「1億円遊んだ男」
ここまでの登場人物はほぼ同年代。
しかし、ここに強烈な不協和音が訪れる。
音ズレるのも不協和音ですかね!?
この年の茶屋町に「ベガス」というパチンコ屋さんが新規開店した。
現在のジュンク堂やLOFTのすぐ近くで、今はもうない。
当時は新規開店なんかしたら客をつけるためにとにかく出す。
それが当たり前の時代だった。
パチンコなんかは釘は甘め。
ハネ物は朝から釘を見て歩き、良さそうな台に座る。
キングスター、ビッグシューター、ゼロタイガーなどなど、2000円前後で食いついたら4000発終了(換金1万円)まで粘る。
2時間くらいで予定数終了できないなら、3000発くらいで諦めて麻雀へ。
パチンコにはデジタル機や一発台もあったが、初期投資を抑えることができるハネ物がやはり手堅かった。
ベガスにはパチスロがあった。
設置機種はユニバーサルのトロピカーナ7。
Aタイプの1.5号機で、店内にある80台ほどのスロットは全てこれだった。
確か、ビッグで360枚、レギュラーは90枚。
ボーナスフラグが発生すると、レバーオン時、左リールが少し遅れて動き出す「遅れ」が特徴的な台だった。
当時は、パチスロメーカーも少なく、店内全て同一機種だけということも珍しくなかった。
また、パチンコ屋のパチスロ機の設置基準があり、店内総台数の20%までと決まっていた。
そんなパチスロコーナーによく出入りしていたのがT山だった。
彼は目押しが得意で、まだパチスロに慣れていないおっさんたちから「ちょう兄ちゃん、これ7止めてくれへんか?」とよく言われて、目押しをやっていた。
色んなおっさんがいた、少しだけ紹介する。
いつも金ピカの眼鏡をかけ、金のロレックスを嵌めているいかにもな50代くらいのおっさんN(仮称)がいた。
T山はそんなおっさんNとも仲良くなっていった。
こちらは浪人生であることを伝えたら、
「兄ちゃんら、K大学やったら言うてきーや。ワシが言うたる!」
と裏口入学のお話。
全く受験する気はなかったが後学のために「いくらなん?」と質問。
小指が欠損した右手を上げ、指をVサインのようにして「200やわ」。
「そうなん、国公立受けるつもりやからええわ」と返しておいた。
当時のパチンコ屋にはこの手の香ばしい人たちが散見されたもんだ。
そんなパチスロコーナーだけの付き合いでは終わらないおっさんをT山が見つけてきた。
それがつーやんだった。
つーやんの身体的特徴は
160㎝くらいで小柄
筋肉質の引き締まった身体つき
浅黒い肌にゴマ塩頭で短髪
そんなつーやんをT山はクラブ茶屋町に連れてきた。
つまり目押しだけの関係から、麻雀に引き込んだのだ!
これは僕では到底できないこと。
僕は、ややこしそうな人物とは自分からは絶対に係わらないようにしていた。
それは今も変わらない。
「君子危うきに近寄らず」そんな感じだ。
そんな中で、つーやんが現れた。
僕のレーダーの反応はそこそこややこしそう。
あんまり近づきたくないレベル。
で、そこに来たってことで僕も一緒にサンマを打つことに。
最初は警戒して打つ。
2時間もすればはっきりとわかる。
リーチがかかるまでほとんど場をみない。
危険であっても、自身の手に溺れる。
まあちょろい!
僕は必要以上に仲良くならないように一線を引きながら、つーやんをATMと認定。
第一印象の「あんまり近づきたくないレベル」から「上手にお付き合いしたいレベル」に変更。
ただATMつーやんというのはデリケートに扱うべきなので、利用時の取扱説明書を考えるようになった。
・たまに放銃して適度に遊ばせる
・自身で勝ちすぎないように抑える
そんなふうにしてこの日から10年弱お付き合い。
メシを食べに行ったりもしましたが、それ以上は深入りせずにATMとして利用させていただきました。
後日、T山とつーやんの話をした。
彼は一緒に釣りに行ったり、もっともっとずっぽしの仲でした。
そういう距離感は人それぞれなんで僕がとやかく言うことではない。
結論としては、つーやんは害のある人ではなかった。
京都のええとこのボンだったらしい。
そんで、勘当されて大阪に出てきていた。
そこで僕たちと知り合ったわけだが、毎年1000万円。
10年で1億円は遊興費に使っていたように見える。
本当にお世話になりました!