僕と麻雀 高校編11本場

「パチマスとハリハリ」

共通一次試験を終えたら、本格的に受験シーズンとなる。当時の高校の同級生のほとんどは、国公立大学1本だったように記憶している。現役で落ちたら浪人して、その時は私立との併願。それがメインだったような気がする。現役で私立を受験するのはかなり少数だった。僕はアメリカからの帰国子女のパチマスと慶應経済を受験することとした。

パチマスは麻雀はしないが、パチンコが大好きだった。当時のパチンコはハネ物が主流。そこに初代フィーバーが登場。ドラム式で777が揃えば下部のアタッカーが30秒だか開きっぱなし。これを無限に繰り返す。無限に玉を出すわけにいかないので、そこでハネ物と同様に館内放送で「723番台、4000発予定数終了~」と流れる。すると店員さんが急いで飛んできてハンドルの手を放すように指示を受けるという具合だった。館内放送や軍艦マーチなんかも楽しいもんだった。

アメリカ帰りの帰国子女とパチンコの相関性や親和性はかなり低い。しかし彼はパチンコが大好きで、麻雀ばかりしていた僕とは仲良くやっていた。僕の高校時代のパチンコデビュー(本当のパチンコデビューは5歳くらいの頃。近所の幼馴染とたまに日曜日にパチンコに行ってました)は、パチマスと二人で行った三ノ宮の新装。一番前に並んでいた僕は、開店時に後ろから押されてメガネが吹っ飛んだのは衝撃的だった。横山やすしばりにメガネメガネと探した。メガネは壊れず見つけた。出遅れた僕のぶんもパチマスが台を確保してくれた。何度か上皿にタマを詰めたが、デビュー戦のパチンコはまあまあ勝った。

そんな二人で横浜西口ののホテル「ルートイン」に宿泊した。時間があったので、まずは受験会場の日吉まで東急東横線に乗って下見。所要時間の確認をして横浜に戻った。ホテルまでの道すがら、横浜ビブレの傍らのビルに麻雀道場のようなものがあった。いっちょやってやるかとパチマスと一緒に入った。

その雀荘はオンレのフリー雀荘ではなかった。2020年の現在は増えつつあるノーレートのフリー雀荘だった。そこで「四段の〇〇です」などの自己紹介をしてきたかたからルール説明を受けたので、おそらくプロ麻雀連盟の道場だったんだと思う。僕はオンレのフリー雀荘に挑むつもりだったので肩透かしをくったような気になった。麻雀をしないパチマスを待たせていたのもあり、1ゲーム(400円?)で終えた。着順はおそらく2着か3着。フリーデビューではあったが、高校の同級生たちのほうが強く感じた。フリーのレベルってこんなもんなんか。そう思った。

翌日の入試は出来はイマイチだった。まあそんなものはどうでも良い。受験を終えての帰り道にK学院のハリハリ達と偶然出会った。僕たちの根城雀荘MにはK学院からハリハリとスーパースターTがちょくちょく顔を出して一緒に打っていた。それなりの人数が受験していたであろう日吉で会ったのには意味があるはずだ。そこで僕たちは日吉の雀荘に入った。他の2人は誰なんだろう?

その雀荘は、年配のおばちゃんが一人で切り盛りしていたとても年季の入ったところだった。案内された卓は、全自動卓でもマグジャンと言われる半自動卓でもなく、本当の手積み卓だった。おばちゃんは手慣れた手つきで麻雀卓の枠を外し、そこに張ってあったシーツーのような白い布を端からピンと伸ばしていき、四隅を手際よく何かで固定し、シーツの上をブラシで綺麗に掃除し埃を掃出し終えたら麻雀枠を嵌めた。その上にゲタから麻雀牌を置いた。僕はおばちゃんの流れるような作業に見惚れてた。このタイプの麻雀卓で打ったのは、後にも先にもこの時だけである。この日の麻雀の成績は記憶にはないが慶應経済に落ちたのは覚えている。パチマスは合格。ハリハリも合格なんじゃないの?

さてさて、この後は卒業式やら国公立受験やらと続きます。

*高校編10本場で早稲田政経を受験したと書きましたが、現役では受験していないはずです。訂正しておきます。この手の麻雀卓をお持ちのかたがいたらご連絡ください。画像欲しいです。

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