見た目が9割と信じているパートナーと、娘の髪を揃ったときの親の反応

先日娘の前髪が伸びていたので、自分の美容室ついでに切ってもらった。小さい子供は無料でやってくれるということで、とてもありがたかった。親ばかだなあと思いながら、「もう少し短いほうがかわいいですかね?」と2段階くらい短くしてもらって、サランラップのCMの女の子みたいになった。意外とかわいい見た目で、こどもはみんなこの髪型にすれば可愛いんじゃないかと思ったくらいだ。

保育園に連れて行ったときも、「あら、髪切ったんですか?かわいいですね!」と先生たちに言ってくれて、純粋に嬉しかった。

だが親に写真を見せたときは、反応が少々違った。「あら、髪切ったのね...」と苦笑いをしている。「まあ、また伸びるからね」「うーーーん、流行ってるのかこれ? 他のパートさんに見せたときもかわいいって言ってくれたけど...髪だからまた伸ばせるし、まあいいだろうが」

そして髪を伸ばした後の未来をアドバイスしてくる。「おまえが髪を結わないといけないからな。まあ動画とか今はいっぱいあるから勉強できるだろうし、不器用でもできるのあるから」「そうよそういう事も含めて育児なんだからね、あんたはそういうこと全然やったことないからちゃんとしなさいよ」と自慢げに言ってくる。

まず、私が思ったことは
・孫はなんでもかわいいと言ってほしい。正直な気持ちはわかるのだが、髪型がかわいくないというなら、せっかく遠方だからと思って見せた写真も、見せたくなくなる。
・髪の毛が伸びた後の心配は、自分だってしている。母は元美容師だったので、三編みやらなにやらはよくやってもらったのを覚えている。私は見た目に疎かったり、不器用なのがわかっていたので、ときどき自分で挑戦してみるものの、結果変な髪型だと言われるから、ほとんど結ばずに、大事なイベントなどはお金の力を使って美容室で解決していた。今度は自分がこどもにやってあげる番だから、もう少し人並みにちゃんと勉強しよう。でもそれを親に言われる年頃でもないっていうか、もう30越えてるんだけど...

「うん...、そうだね。今は動画もあるし、難しいけどがんばるわ」と自分で笑顔を作るだけで電話を切って、とても悲しくなった。感情に振り回されずにスルーする能力があればいいのに、いちいちこんなことでイライラしたり悲しくなるのが本当に嫌だ。

「お前は不器用なんだから」だの、「そういうのやったことないだろうから」だの、枕詞に必要なんだろうか? 断定的な事言うけど、あんたらは今の私がわかるのだろうか?

実際エスパーのような母は、自分の思っていることをよく当ててくるけれど、でも、「お前のためを思って」言ってくれていることに傷ついたりしているのは、あなたはわかっているんだろうか。

さらに、「あんたに似ればいいのよ」という。女の子だから女の母親に似てほしい、というのはなんとなくわかるけれど、私は夫の顔も好きなんだけどな。逆に夫に似たらかわいそうなんだろうか?私は可愛いと思っているのに?

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夫は娘に向かって「早く二重になれよ」と無邪気に言う。「いや、まずね、二重は優先遺伝だし、二人とも二重だから、そんなの思わなくてもきっとなるよ。もしならなかったとしても、一重でもかわいいこいっぱいいるし、ていうかなんでもかわいいだろ!!娘は可愛いんだよ!!」と返す。見た目を重視している夫は、夫の友達とも「女の子はかわいくて愛嬌があればいいしギャルみたいなのがいい」と話していたけど、私もギャルはすごくかっこいくて超好きだけど、別に絶対ギャルじゃないといけないとかなくないか?

「だってかわいければ人生イージーモードだろ?」

は?

「馬鹿じゃねーの「主に泣いてます」とか読んだんだろ?かわいくたって大変なこといっぱいあるんだよ?変に狙われたりしたらどうするの?それにイケメンだってイケメンてだけでハードル上がってそれ以外の事でちょっとでもだめだと「あいつは顔だけだ」とか言われるんだよ?」

「でも同じ能力で見た目よかったらソッチの方がよくね?」

「(はぁ...)結局さ、見た目なんて遺伝によるもので親の七光りなわけでしょ。つまりガチャで引いた環境なだけでしょ。自分でやりたいと思ったら化粧とか他の要素でいくらでもカバーできるだろうしさ、むしろコンプレックスとかじゃんじゃんバネにしてそういう実力つけてる人の方がよくね」

と思ってるんだけど。

「見た目に関しては親に感謝しなさい」と小さい頃から言われてきた身としては、見た目が9割だと思っている人に全然共感できない。見た目かわいい方に対する初めの向こうからのアプローチ速いのはわかる。わかるけどさ。カスみたいなのもいっぱいくるしさ。これも自慢になるんだろ?きっと。

「お前、しゃべんなければかわいいのにな」と言ってきた中学校の先生とか、
「先輩はかわいいからいいですよね」とか意味わかんない妬まれ方したりとか、(それだけしかないですよねみたいな言い方すんなと思った)、
「俺は面食いなんだよ、褒めてるんだよ」とか、
「お前の友達はみんなかわいくないなあ」とか、

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「自分が醜く生まれてればそれだけでいじめられていたのかな」と高校の時に思った。みんながあるクラスメートをからかっていた。真っ赤な顔をして泣きだしそうになりながら抵抗しているのを見て、みんな笑っていた。大した理由もない、ただちょっとかわいくなかったり、おどおどしていたり、太っていただけだ。
私だって、おどおどしているし、太っていたりするときもあるし、自分の顔を好きだと思ったことない。好きになろうとしている、が近い。
「自分が醜く生まれていればどうだったんだろう、友達もいなかったんだろうか」と家で口にすると、「あんたはそんな事考えなくていいのよ、そんなこと考えたってしょうがないでしょう、むしろ感謝しなさいよ」という答えがくる。

干渉さえなければ、個人でどう考えてもいい。感覚の違いなのだろうと思う。でも、それがないとだめだなんて考えは嫌いだ。みんなかわいいところがあるんじゃないか、それを拾ってやってほしいと思っている。私の友達は、顔で選んでいるわけじゃない。そんなことは些末だ。むしろ目を見てほしい。どうやって生きてきたかが見えるから。顔じゃなくて顔つきや表現をみてほしい、それで物語るものがあるから。そして、造形だけでは表せない良さを褒めてほしい。
私は歪みこそが個性で、美は生き様から(それはヨガやってるとかクレンズしてるとかそういうことだけじゃないと思う)醸し出されると思うので、ぜひその趣も味わってみてほしいと思っている。

言葉が好きです。音楽が好きです。好きな音楽をシェアしつつ文字を書いているだけなので、アーティストさんの歌詞などとあまり関係がありません。すみません。