Happy birthday to 私
今日は誰に向けてかで言えば自分に向けてこれを書いてみようと思う。自分との戦いだ。
ちなみに別に今日は誕生日ではないし、いつもと違う人でもない。むっちゃ個人的な話なのでちょっと普段とテンション違うけど、書き留めておく必要があるので。
何年ぶりかに妻とホテルに泊まっている。
私達夫婦の人生にとって、そして私個人にとって大事な催し事を成し遂げる為に東京に来た。で、昨日成し遂げたので私はコレを書いている。
東京のとある街が私の故郷だ。
今回の帰省で、妻と一緒に私の故郷に帰って、私方の親族に挨拶をした。もう夫婦になって3年近く経つと言うのに、籍を入れてから一度も会えていなかった。2020年から始まった例の禍のせいでだ。
みんなそうだろうが、私も例に漏れずアレがひどく嫌いだ。でも恨む先もいないし、仕方なかった。誰かのせいにして罵声を浴びせることができれば少しはマシだっただろうけど。
皆でそれなりに妥協したり歩み寄ったりしながら生きていくしかなかったんだ。両親が高齢なのもあって、あの2人の意思を尊重する他なかったというのが大きいが。誰だって会いたいけど苦しめたくないのは禍においては一緒だろう。
自分は「やりたい事はどんな手を使ってでも成し遂げる」みたいなところが昔からあるので、多分「人生で初めて自分ではどうしようもないから諦めた事」だった気がする。親族皆と妻と顔を合わせてよろしくお願いしますと言う、ただそれだけなのに。する事はそれだけなのに、やってしまうとあっけないあの時間を私達は3年も待った。
さっき「人生で初めて自分ではどうしようもないから諦めた事」って言ったけど、違うな。
もう一つ、それの比にならないくらい私の人生の足枷になっていた話がある。
私は小さい頃のある時から、姉と仲が良くなかった。姉をひどく敬遠していた時期もあった。大学生になり、実家を出て離れた所で一人暮らしを始めると、さすがに離れて暮らしてる甲斐あってか幾分かまともに姉と関わることができるようになった気がする。けど、それでもモヤモヤした負の感情は拭えなくて、ただ問題を先延ばしにしたに過ぎなかった。
というかその問題を、姉と一緒に暮らす両親に押しつけて逃げただけだったんだ。
そこから数年経ち、妻と出会い結婚をしたわけだが、この度「妻に会ってもらう」という大義名分を振り翳して私は姉と会話をした。
思春期の頃からまともに会話してなかったから、もう何年ぶりか分からない。
もはやはじめましてみたいな感覚もあった。
まぁあっちもそうだろうけど。
いや思い過ごしだな。
昔の話むっちゃ覚えてたしな。
わからんな。
話の内容は他愛もないことだ。
今している仕事の話、仕事の愚痴、妻と姉の共通の趣味の話。話してみると姉と自分が「似てるな」って感じることもあったりして不思議だったし、嬉しかった。
妻と籍を入れた頃からこの日の事はずっと想定してきたはずだったけど、やっぱり緊張した。姉が私を拒絶していたのだと思っていたけど、いつの間にか私が姉を遠ざけてしまっていて。多分きっともうお互いその頃の事なんかどっかにいってしまっていて、ただきっかけが無かっただけなんだと思う。分かんないけど。でも自分は姉とただ話をしたかったんだなって思った。
私は「姉と話す」事を諦めていたんだ。
怯えていた。
禍で我慢しなきゃいけない事とは違って
100%私の中での問題で
解決できるのは私しかいない問題。
それからずっっと逃げてた。
その扉を開けてくれたのは他でもない妻である
(本人はその自覚はないかもしれないが)
(今隣で寝てるのにこれ打ってる状況、我ながら笑える)
顔合わせの会と言いながら
私にとってその「姉と話す」というイベントが
脳みそを占める比率はハンパじゃなかった。
良かった。
本当に良かった。
その一大イベントの後、妻を友人に紹介するって奴もやってみた。
そいつは確実にコレを読んでるから
そいつとの話は、詳しくは書かない。
まぁでも楽しかったな。また飲もうや。
で、妻と泊まってるホテルのベットで起きた。
時計はAM5時。
早朝型の生活リズムの私は、どんな状態でも5〜7時には一旦目覚める体質になってしまった。昔は違ったんだけどな。
昨日の一大イベントをこなした事と慣れない東京をあちこち歩き回って疲れている妻が、当然起きてるわけもなく。
姉の話はともかく、家族ときちんと顔合わせができていないことは妻にとっても当然気がかりだったことなので、肩の荷が降りただろうな。とか考えながら、妻の清々しい寝顔をボーッと眺めていた。
眺めていたが
「……暇だな……」
昨晩の酒のおかげで喉がカラカラに渇いてたので、コンビニに水を買いに行くついでに東京の街を散歩してみることにした。
「そういやイヤホン持ってきてるし音楽聴きながら歩くかぁ」と思い立ち、いつも通りお世話になってるYouTube musicで適当に曲をタップしてシャッフル再生を開始。あれのアルゴリズムがどうなってるかいまいちわかんないけど、何曲か聴くと最近聴いてなかったモーニング娘。16の泡沫サタデーナイトが流れてきた。
「うわぁやっぱ良いなぁ」
「モーニングの曲ってイヤホンで聴くとむっちゃ良いんだよなぁ」
「この間出したアルバムの1曲目とかイヤホンで聴いたらぶち上がったもんなぁ」
「やべえ、ちょっとランニングしたくなってきた」
「さすがにやめるか…」
昨日までの一大イベントの事はもう頭の片隅によけときながら、ハロオタムーブが脳内で行われる。
「あ、そういやこの間公開された新曲、MV1回見ただけだしもう一回聴いてみよう」
検索検索
ああ、自分にもそういう頃あったなぁ。
夢や大きい目標みたいなのからは逃げてるくせに普通の生活に憧れて、それなりにこなして、かわして生きてきたなぁ。傷つくのが怖いから。悔しかったんだなぁ、あれきっと。悔しいって気付けてるだけでこの子は偉いよ。俺はあの頃、悔しいと思えてなかったから。悔しいとか寂しいを全部怒りに変えてしまっていたから。本当は寂しかったんだ。
うんうんあるある。てかコレは未だにあるなぁ。あの頃擦らせた心を今も大事に持ってるんだなぁ俺は。「実家を出てくる」とか無駄な抵抗の最高到達地点だもんな…いやまぁその当時は抵抗とは思ってなかったけど。
ぬぉ、クソかっこいいやん…
あそばせってこんなかっこよく使えるんだ…
ライブでも絶対に盛り上がるなぁ…
問題児扱い上等だったくせに私に拍手ちょうだいって愛らしすぎやろ…まぁするけど←
言いたくもないし、言うべきでもないかぁ〜。それを言わなきゃいけないと思ってたストレス半端なかったなぁ。だからしんどかったんだよな。でもあの頃の話なんか蒸し返す必要なんてなくて、ただ「姉ちゃんと話がしたい」ってのが言えなかったなぁ。あ、友情とはちげーな…
まぁでも昔から色んな人とそれなりに関わるのは得意だったけど、やっぱ虚無が強かったからなぁ。愛情に飢えてたのかもなぁ、若かりし頃の俺よ。
ただ、友達に友情と愛情を持つ事はあるんだよなぁ。これも言語化できるようになったのは妻のおかげ。照れ臭くて言えないまま自分の感情に蓋してたことを全部開けれたんだなぁ。
…てかなんだ。
俺が思ってるより、俺変われてるじゃん。
やったね俺!
そっか俺の番なのか。
自分はステージの真ん中に立って声高らかに吠えていいんだ。問題児扱いされてた頃もあったし、それが心地よくて問題児に居座っていた事もあったけど。自分の中の奥底にあった感情の膿を引きずり出してきてそれをドブに吐き捨てた今、ちゃんと愛と希望と向き合える時が来たんだ…愛と希望を抱えた問題児でいいんだ。もうあの頃の自分ではない、きちんと道の真ん中を前を向いて歩こう。
Happy birthday!
新しい私!
ありがとう、家族!
ありがとう、モーニング娘。'22 !
ありがとう、つんく♂!
ありがとう、俺!
俺!明日からも希望を抱えて愛を大切に生きていくね!わかったか俺!
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