Omoiさんについて語るよ!

 皆さん初めまして。ぼうはちと申します。今回は僕の大好きなボカロPであるOmoiさんについて、そして彼らが製作したマジカルミライ2018テーマソング「グリーンライツ・セレナーデ」について、考えたことを書き留めておきたいと思います。未熟な文章ですが、最後まで読んでいただけたら幸いです。

 突然ですが、OmoiさんというPの特徴をひとつ挙げるとしたら、何を挙げるでしょうか?シンセが押し出された強烈なサウンド、叫び声のようにも聞こえる特徴的な調声…人によって様々だと思いますが、僕は歌詞にこそOmoiさんの真髄があると思います。

 ではその特徴とは何なのか、

 まず第一に、「仲間」の意識が挙げられると思います。

 「WAA‼︎‼︎」や「キミの全てを見せてよ」などが顕著な例ですが、他の楽曲にも「僕」から「君」へと語りかけるような、「他者」を意識した歌詞が多く見られます。仲間などと言った言葉とは無縁そうな「チット・チャット・マーチ!」も

君の笑顔が答えなら
今はとにかく飛ぶ!飛ぶ!飛ぶ!

という一節で締められています。二人組のユニットだからこういう歌詞が多い、と決めつけるのは邪推としか言えませんが、辛い時に寄り添ってくれたり、共に戦ったりしてくれる「仲間」を描き続けてきているところにOmoiさんの特徴があると言えます。

 第二に、飾り気のない言葉選びがあります。

 ボカロ曲に対するステレオタイプのイメージとして、「歌詞に出てくる言葉が難しくて、無駄に難解(そのくせ意味はない)」というものがあります。このような偏見を間に受ける必要はないですが、Omoiさんの歌詞がまさにその対極にあるというのは言うまでもないでしょう。歌詞には辞書を引かなければいけないような難しい単語はほとんど登場しません。一貫してシンプルな言葉選びがなされています。

 シンプルな言葉で構成された歌詞は、言葉自体が持っているイメージ・空気感によってぼかされることなく、直接聴く者の心に届きます。だから、Omoiさんの歌詞は圧倒的な熱量を持っているのです。もちろん、ただシンプルな歌詞にすれば力強くなるというわけではありません。平易な言葉で世界観を築ける描写力があってのことです。

 また、激しいシンセロックサウンドと感情を爆発させたようなボカロの声はストレートな歌詞ととても相性が良く、歌詞の持つパワーと相乗効果を生み出してくれます。

(一応断っておくと、難しい言葉を使ったら熱い歌詞は書けないと言ってるわけじゃあありません。ナナホシさんなんかがいい例だと思います。)

 第三に、視聴者の予想を裏切る「意外性」があります。

 彼らの楽曲には、いわゆる「普通」の感覚から「ズレた」ような歌詞が多く登場します。

 例として、「君が飛び降りるなら」の歌詞を見てみましょう。なんでこの曲を挙げたかというと、理由は単純、この曲が意外性の塊のような曲だからです。いくつか歌詞を引用させていただきます。

いきなり歌い始めてごめんね

 視聴者は動画を開いた途端にこのフレーズを聞かされます。確実に意表をつかれるでしょう。軽いジャブを予想してたら大振りのアッパーカットをお見舞いされるようなものです。思わずボクシングの試合ほとんど見たことないのにボクシングで例えてしまいました。  

え何?あの有名ボカロPが
明日新曲上げるだって?
ってなんでこんな大事な時まで
Twitter見てんのさ君は…
もう僕ら明日それ見なきゃ
この世界にさよならできないじゃん!

 改めてすごい歌詞です。失礼な言い方になりますが、他のボカロPがこんな歌詞を使ってたら、僕はきっと「冷めて」しまうと思います。じゃあどうしてこの歌詞がこれほど自分に刺さっているのか、それは前に挙げた歌詞表現のストレートさ、そして激しいサウンド、魂を揺さぶるようなボカロの声と言った要素に由来するものだと思います。どういうことかと言うと、曲がストレートで勢いがあるから、普通の感覚と「ズレている」言葉にも強い意味、ある種の説得力のようなものを感じられるのです。…これだとちょっと何言ってるかわかりませんね。

 野球で例えると、切れ味の鋭いカーブを投げているのではなく、回転のかかっていない豪速球をストライクゾーン(いわゆる「普通」の歌詞)から大きく外れた場所に投げ込んでいるようなものです。なんでそんな球をキャッチャー(視聴者)は受け止められるのか。それは、ピッチャーが変化球なんて投げない、魂を込めた豪速球しか投げないとわかっているから。余計なことは考えずに、ボールを受け止めることに集中できるからです。もちろん、今までストレートに投げてきた人が急に違うコースを狙ってくるわけですから、最初は違和感を覚えるでしょう。しかし、その「ズレ」は不快なものではありません。球の持つパワーが、めちゃくちゃな位置に放たれたボールに「説得力」をもたらしてくれるのです。球が強すぎて、ストライクゾーンなんて関係ねえ!って感じです。何だか余計わかりづらくなった気がしますね。

 この「意外性」と言う要素は全ての楽曲に含まれるものではありません。が、新しい曲(2017年以降に投稿されたオリジナル曲)には、ほとんどこの要素が含まれていると思います。僕は、この作風の変化は「チット・チャート・マーチ!」に起因するのではないか、と考えています。それ以前の作品(とそれ以降の作品)と大きく作風を変えたこの楽曲は、Omoiさんが広く注目されるきっかけとなった出世作でもあります。

 本当にすごい曲です。「殺戮の歌」と言うのがぴったりだと思います。「可愛い」で殺す感じ。

 この曲を今まで挙げた視点から解釈するのは難しいと思います。他の曲と作風が違いすぎるので。

 しかし、この意外性の塊のような曲を書いたことにより、以降の楽曲に「遊び心」の要素が加えられた、と考えてみるのも面白いと思います。ちなみに、Omoiさん本人もこのようなツイートを残しています。

 

 さて、ここまでOmoiさんの素晴らしさを説き続けてきた僕が言うのもなんですが、その音楽性はそれぞれの要素において個性が強く、常に賛否両論を生むような、合わない人にはとことん合わないようなものだと思っています。実際僕も、彼らの作風はある種の「ゴリ押し」に近いものはあると思っています。

 だから、マジカルミライ2018のテーマソングを担当すると聞いたときは、もちろん嬉しかったですが、不安もありました。動画サイトに投稿されたボカロ曲を聴く層とライブなどに参加する層は必ずしも一致しません。マジカルミライのテーマ曲は幅広い層に聞かれることになります。Omoiさんの曲が受け入れられなかったらどうしよう…そんな考えもあり、複雑な思いで曲の投稿を待つ日々でした。いちファンでしかない僕がそんなことを心配してもどうにもならないのですが…

 そして2018年7月6日、「グリーンライツ・セレナーデ」が投稿されました。

 正直、聞いた直後はうまく感想を言えませんでした。期待が大きすぎて曲を聴いただけで燃え尽きてしまったのか。やまかわさんと山下RIRIさんのMVが素晴らしくて、脳の処理が曲にまで回らなかったのか。しかし、何回も聞くうちに、曲のことがわかってきました。

 圧倒的な「光属性」さ、ミクとマスターの一対一の「仲間」としての関係性、中盤に差し込まれた印象的な二重否定、そしてライブで見せた心憎い歌詞改変…

 全てがOmoiさんでした。歴代のテーマソング担当者と比べて、彼らの実績は決して大きいものではありません。しかし彼らは自分たちのやり方で、見事なまでに「初音ミク」を描き切ってみせたのです。

 






 一応これで書きたかったことは大体書けました。しかし、これで僕のOmoiさんへの思いを完全に吐き出せたとは思ってません。自分の考えをアウトプットしてまとめることの難しさを痛感しています…(´;ω;`)。

 だけど、僕の自己満足にここまで付き合っていただいた皆さんには感謝してもしきれません。本当にありがとうございました!!。


 

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