環境と人間性
※映画「鬼太郎誕生」のネタバレを多分に含みます。
休みの日に友達とその場の流れで「鬼太郎誕生」を観た。
鬼太郎って、すごく昔からやってるし、知ってはいるけど、エピソードとかバックボーンって全然知らない。
昔、母親から、「鬼太郎は墓場で産まれたのよ」って言われたことしか記憶がないくらい。
それくらいの程度の「知ってる」
映画は、もちろん物語として面白かったし、考えさせられる部分もあった。
面白かったっていうと、なんか話が違うな。
私はああいう、わけもわからないまま、何も対抗する術も力もないうちに、制約されて拘束されて、生きてる間ずーっと搾取されるような世界を見せつけられると、とてつもなく憤りというか、悔しさというか、そういうものを感じちゃう。
自分はそんなの経験したことないけど。
思い出すたびに殺意が湧くような、そんな感覚、でも、誰に対しての殺意なのかもわかんないような。
あの物語の中で、悪者っていうのはたくさん出てくるわけだけど、そいつも本当に純粋な悪者なのかっていうと、そういうわけでもない。
沙代ちゃんのお母さんの乙米も、あの家に生まれたのだから、同じ目にあっていたんだろうし、でもそこから抜け出せないから、あの家に染まる生き方しかできなかったんだろうな。
その後の世代に自分の経験した苦しみを「大義だ」って受け継ぐことで、罪悪感と苦しみから解放されようとしてる。
「お父様のお気に入りだったこと知ってるのよ」って言うってことは、それが忌むべきことってわかってるんだから。
次女の丙江も昔駆け落ちしたのは、そういうことが嫌で、逃げたかったんじゃないかと思う。
だからこそ、沙代の先駆けみたいなことをしたけど、うまくいかなくてあんなに変わってしまったんじゃないかなとか思う。
この物語を見てると、環境で人が変わるってことがよくわかる。
次期当主の時麿も、当主じゃない時は父親に付き従って、嫁を取るなと言われたら従って、そんなもの従う必要ないのに。
そして、当主になった途端に、決まりごとが当然の権利であるかのような行動を起こす。
三女の庚子もあんなにビクついてたのに、当主の母親となれるとわかった途端に、めちゃめちゃ強硬な態度を取る。
ビクついてた時は、ちゃんと時ちゃんの母親だったのに、当主の母親となる話が出たら、時ちゃんを理由に人が変わる。
こんなに極端な例は、身近にはそんなにないけれど、小さな例ならたくさんあるな。
誰かがイジられていたり、罵倒されてたら、他の人間もその誰かを軽んじ始める。
自分の優位がわかると途端に他人に強く出る。
みたいな感じ。
人間は社会的な生き物ということからしても、社会があると、人はそれに形を合わせちゃうんだよな、良くも悪くもさ。
社会に順応することで、他人と違うと排斥されなくなるから、自己防衛みたいなもの。
弱いのに、そんな社会に抗おうとしていることがすごいから、水木やゲゲ郎やゲゲ郎の奥さんの姿が人に感動を与えるんだろうね。
なんの推敲もせずにダラダラと書いてしまった。
そういえば、ゲゲ郎の声って鬼舞辻無惨だな。