キツネの婿入り(童話)
赤く染まりかけている夕焼け道を、ひろみは母親の忘れ物を届けるために、自転車で走っています。
じりじりと日が照りつけてくる真夏。
日が落ち始めたというのに、自転車を少し漕ぐだけで、ジンワリと汗ばみます。
身体中に、まとわりついてくる汗でイライラした心を、夏の虫の声が、追い打ちをかけてきます。
「もうっ。お母さんたら。仕事に必要な資料忘れるなんて。まったくもうっ」
ひろみは、汗をぬぐいながらカゴの中のファイルをにらみつけました。
その時、ポタッとファイルにそらから雫が落ちました。
雫は、そのうち雨に変わりました。
「やだ。雨が降ってきたよ。」
ひろみは、自転車を止めて、ファイルをティーシャツの中へ入れました。
「雲なんてないのに。ついてないなぁ。でも、小雨だから、このまま行っちゃえ。」
ファイルがぬれないようにしながら、ひろみは、自転車をまた走らせました。
暑い夏に降る雨は、ジットリと感じさせ鬱陶しいので、ひろみは、夏の雨が嫌いでした。
でも、今日の雨は、いつもと違い優しくて暖かい雨に感じます。
「すごく、気持ちのいい雨だな。」
雨にぬれながら、ひろみは涙を流していました。
ひろみは、不意に出てきた涙に戸惑いました。
でも、驚いているひろみの意志とは関係なしに、どんどん涙が溢れてきます。
その涙に押し流されて、心の底にしまっていた感情が、ひろみの口から吐き出されました。
「ヤマ。もっと一緒にはなしたかったよ。もっともっと一緒にいたかったよ……。最期のお別れ言いたかったよ。ヤマ……。」
今日は、ひろみと同じ部活の後輩であるヤマの葬儀でした。
ヤマは、下校中に突然、心臓発作を起こし倒れ、その翌週、ヤマは、病院のベッドの上で静かに眠りにつきました。
ひろみが行きたかったヤマの葬儀は、家族の意向により、身内だけでヒッソリと行われることになりました。
ひろみが、聞いた話によると、元々ヤマは身体が弱かったそうです。
心臓発作を起こす、数十分前まで部活で元気に、動き回っていたのですが、それが原因ではないかと、親族は学校側に抗議をしていたという噂を、ひろみは聞いて知っていました。
優しい雨に打たれたせいか、ひろみは、我慢していた悲しみと悔しさが溢れ出ました。
ひろみは、その想いを振り払うかのように、涙をぬぐい、大げさに足に力を込めペダルを踏みました。
母親の働いている会社に向かっている途中で、雨は、すっかり上がりました。
「なんだ、お天気雨だったのか。途中の林で休めばよかった。」
ティーシャツに入れておいたファイルを取り出しながら、ひろみはため息をついきました。
ひろみは、雨と汗濡れた髪の毛を豪快にふりました。
ひろみが、会社に着くと、会社の入り口に母親が、心配した顔をして立っていました。
「ごめんね。途中、雨降ったけど大丈夫だった?」
母親は、ぬれているひろみの顔をハンカチで拭きました。
それから、母親は、ひろみからファイルを受け取って、お礼を言いました。
ひろみは、母親を安心させるために、笑いながら言いました。
「降ったけど、お天気雨だったからすぐに止んだから、大丈夫だったよ。」
「あら、キツネの嫁入りかしら。」
「キツネノヨメイリ……。」
ひろみは、その言葉を繰り返しました。
用事が済み帰る頃には、空は、ほんのり赤みをさているだけで、少し暗くなっていました。
帰り道自転車で走っていると、小さな林の中で何か動くものをひろみは見ました。
ひろみが、よく目をこらして見ると、何匹ものキツネが、楽しそうに踊っています。その中心で、花嫁衣裳に身を包んだキツネと婿衣装を着たキツネが寄りそっています。
お婿さんのキツネは、昔本でみた綺麗で上品な顔をした妖狐の様な顔と雰囲気をしていました。
ひろみは、そのお婿さんから目が離せません。誰かを思い出させるような顔。
「……あっ。ヤマだ。」
ひろみは、ハッとして叫んでしまいました。
婿の格好をしたキツネは、切れ長で優しい目をしていて、口元は、物静かで上品さを感じさせます。サラサラとした毛並に、スラッとした細身の体。 そして、その存在は、柔らかな雰囲気で包まれています。
まるで、ヤマのそうでした。
ひろみの声に気が付いたキツネ達は、踊るのを止め、クルンと一回転をして足先からヒュルンと消えました。
最後に、お婿さんが、いたずらな笑顔をして、手をふり、他のキツネ達に続いてひゅるるんと消えていきました。
その不思議な光景にひろみは、心を奪われていました。
そっと、生暖かい風に頬をなでられて、ひろみは我に返りました。
「あのキツネのお婿さん、ヤマだ……。」
ひろみは、そう確信しました。
ヤマが、人をからかう時に見せる子供っぽい、いたずらな笑顔が、ひろみは、大好きでした。あの綺麗な顔で良くしていた顔です。
「ヤマは、優しくて上品な人だったし、綺麗な顔してるから、キツネ様にまで、気に入られたんだ。キツネの嫁入りじゃなくて、キツネの婿入りだ。」
キツネ達と笑いながら生きるヤマをそうぞうしたら、気持ちが少しだけ軽くなりました。
キツネが去った林では、夏の虫の声が綺麗に響いています。
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