健忘症
卒業式というのは今まで三回経験したが、どれもほとんど覚えていない。改めて自分で思い起こしてみて、驚くほどである。卒業式といえば、皆さんの思い出の中でも結構大きいものであるはずだろう。僕にとっては、どうやらそうではないらしい。この忘れ具合は、そう解釈するしかないだろうな。
多分覚えてないというより、大して見てもいないし聞いてもいないのである。覚えているのは終わったあとに貰う亀屋萬年堂の紅白饅頭くらいである。あれ、それは終業式のときに貰うんだったか、それももう忘れた。若年性健忘症かもしれない。
小学校の自分の卒業式は殆ど覚えていないが、5年の時に見た6年生の卒業式は何故かよく覚えている。なんで全く知らん人たちの旅立ちなんかに立ち会わなきゃならんのだ、そんなのクソ面白くもないだろ、そう思ったのも覚えている。出てみて、直ぐ様気が変わった。6年生の卒業式に掛ける思いとか、先生方の思いとか、そんなのは知らん。本当に知らない人たちだけだからそれは仕方ない。知らんけれどとにかく呑み込まれた。そう言うしかない。何せ、全く知らない人たちの歌とか証書授与とか見て泣いているのである。赤の他人なのに、なんで泣いていたのか。未だに全くわからない。映画やアニメを見ていて泣くとかいうのとも違う。理解不能な感動だった。
当の本人の卒業式は、打って変わってよく覚えてない。前日までインフルエンザで寝込んでて、まだ療養期間の最中だった。元来出不精だから、行く気はなかったのだが、母にもうすっかり元気なんだから行けと言われて渋々行った、それだけは覚えている。多分イヤイヤ行ったから、それだけイヤな記憶として抹消されたのだろう。何を歌ったっけな。
中学校もよくわからん。何を歌ったんだっけ。多分「旅立ちの日に」だろう。そうに違いない。あとで話すが、高校でもこれを歌った。歌いたくないんだけどと言ったら、誰かに怒られた。そういう思い出があるからこの曲は苦手である。あとゆずの何とかなんとかという曲も苦手である。これは元々ゆずが大して好きじゃないからだからだが、それを言って怒られたこともある。どうにかならんか。多分どうにもならない。僕と同じような思いを抱く人はいるだろうが、それは多分どうしようもないので、大人しく従うか、卒業式に出ないか、どちらかお選びになったほうがよろしいだろう。
中学校の卒業式で覚えていることといったら、卒業式が終わったあとである。雨が降っていて、僕は傘をさしていた。そんな時、ある先生が「傘忘れちゃったから貸してよ」と言ってきた。僕は「嫌です」と即答したが、これにはちょっと後悔している。その先生には幾らかお世話になったから傘ぐらいあげてしまって、自分はずぶ濡れで帰ればよかったなと、今でも思っている。やり直したいことの一つである。
高校の卒業式も殆ど覚えてない。高校生活が空っぽだったから覚えていないのも当然だろう。よく高校生活は中学生活の倍は楽しいなんて言われたが、所詮はその人の中では倍楽しかったのであって、僕もそんくらい楽しいかなんて保証はない。まぁ中学生活の楽しさが倍になったって、どんぐりの背比べ程度、たかが知れているのだが。
卒業式の時、泣いている人が多かったが、ビックリであった。あと歌唱中に指揮者がとんでもないほど泣いていた。そんなに泣くほど、あんたらは高校生活とやらを謳歌していたんだなと思った。
覚えているのは、それくらいである。高校の卒業式が一番最近なのに、一番忘れている。クラスメイトの名前も殆ど覚えてない。多分他の奴らからも忘れられているだろうな。同窓会とかもやっているんだろうが、便りが来たことはない。最も、来たところで行く訳がない。特段嫌いなわけじゃないが、会いたくもない。恨み言の一つもあればまだいいが、それすらないんだから会う理由が見つからない。
こう書いてきて、中々悲しくなってきた。卒業式といえばもう少し華々しいものではないか。そんなもの文中に欠片も感じない。まぁ、こういう人もいるのである。卒業式に淡くて素敵な思いを抱いている人もいれば、影にはこんなやつもいるのである。そしてそんなやつは今も同じような感じで日々を怠惰に生きている。多分世の中そういう奴らばっかなのだろう。悲しくはなるが、別に問題ない。それでも食いっぱぐれないんだから、生きる価値くらい、多分ある。
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