2023/11/17 滝本力斗さんとの対話


2023/11/16 Facebookのメッセンジャーに滝本力斗さん通称リッキーよりメッセージが届いた。

20入学から4年目、SFCは一期生から脈絡と受け継がれてきた異端の精神を失っているように感じています。教授陣もそれを知って見放しており、学生間でも怠慢な空気が流れ、優秀な学生は外部へと出ていくだけになっております。
SFCに期待を持って入った身としてはその実情を目の当たりにし大いに失望したのですが、人だけは魅力的なんです。だからこれをどうか活かせられないかと考えてます。
つきましては、どこかで一度お話しすることはできますか?
1期生の視点も踏まえてこれからのSFC改革にアドバイスを頂ければ幸いです。よろしくお願いします!

その後、数回のメッセージをやり取りして翌日の11/17の夜、横浜で会うことになった。このnoteは、その日の翌朝に書いている。

1.いま、浮かんでくる言葉

「発明とは、無から生み出すこと」「発明と発見」「道祖神と庚申塔」「桜」「寶泉寺」「レイヤー・重層」「祀りごと」「自然と人間」

2.SFCの七夕祭を経験した次女の言葉と妻の言葉

七夕祭って祭なのに祭りっぽくない。これだったら、ジュビロの試合を応援した方がいいから磐田スタジアムへ行く。(次女)
七夕祭って、SFCへの感謝の気持ちが表現されていないんじゃないの。お祭りってそういうもんじゃないの。(妻)

3.Facebookの投稿からの何気ない検索で気になった言葉

井深大
「世界のソニーとして認識されるのは大変うれしいことだが、だからこそ、なお私は私を育ててくれた日本を愛し、世界を見つめなければと思う」。

https://www.waseda.jp/inst/weekly/column/2014/10/27/11576/

4.言葉を見つめ、内省して出てきた仮説

SFCができて30年とちょっと。今、学生の中で学べることやそういった時間が持てることに対する感謝の気持ちやその気持ちを表す行為がないから、リッキーが空虚感があるように感じるSFCらしさがキャンパスにないと思うんじゃないだろうか?何気なく読んだネットの記事ではあるが、この井深さんの言葉から「SFCのある遠藤の土地に、感謝する行為が必要なのではないか?」という言葉が僕の頭に浮かんできた。

5.SFC学生時代の自分①

では、僕はSFCにいた時に何をしていたのか?正直、その当時は感謝という言葉を意識して何かをしたかという記憶はない。しかし、よくキャンパスを歩いた。たぶん歩いたことのない場所はないぐらいに歩いた。歩きながら、SFCに何が必要か、SFCの学生に何が必要か、SFCが福沢諭吉のつくったキャンパスになるにはと考えながら歩いていたことは事実といっていいだろう。
七夕祭に関わっていた時、僕はキャンパスを少し高い視点から眺めているところを想像して、メディアセンター前に集まる学生たちの熱気が花火となって昇天すると捉えた。ゆえに、七夕祭はハレの場であり、日々の学生生活に感謝し、次の日から学業に励むための機会と捉えイベントに関わってきた。
市民大学祭に関わった1993年は、メビウスリングを埋め尽くすぐらいの出店者が軒をつらねていた状況に、いまでもありがたいという気持ちがこみあげてくる感情がある。おおぜいの市民の方がSFCに入り込んでくださったイベントだった。

6.地域の方と交流する機会がなかった自分

七夕祭が、地域の方々にも開かれたイベント。そんな想いはもちろんあったし、開設当初から地域の方々の理解があって遠藤にキャンパスができたということについては、感謝する気持ちはあったと思う。ゆえに声がかかれば協力はしてきたが、自ら地域の方々と交流するということはしていなかった。今振り返ってみれば、シャイだったのかも。そもそも今ほど社交的ではなかったから。でも、後輩たちがその分以上のつながりをつくってくれた。3期生の徳本くん、5期生の高島くん。それらのヒトが地元の方とのつながりをもって、秋祭や七夕祭に携わっていた。
リッキーと会う前に横浜駅でばったり5期生の栗本くんに会ったという事実も、考え方によっては愉快に想像して楽しむことができる。
彼は高島くんとともに七夕祭の実行委員だった。彼も情熱を持って七夕に関わり、そして遠藤という土地にあるSFCを今も愛している一人だと思う。

7.滝本くんの持ち出した資料

滝本くんは、キャンパスのある遠藤を調べていた。鴨池の横にある樹木のこと。道祖神や庚申塔。柳田国男は歴史に影響されなかった場所と書かれた資料。この地域の歴史資料などを持ち出して話をしてくれた。

8.先人の習慣を知り、まねて、今の時代にカタチを創造する。

時間の流れによって、その土地にレイヤーが重なり合うようになっているとすれば、そのレイヤーの一層、二層先にある文化を調べよう。なんとなく、なんとなくの感覚だけど、このキャンパスのあった土地に住んでいた先人たちが、当時の価値観で幸福だった感覚が圧迫されているように感じてきたから。それを今の時代の言葉で生きている人間がウェルビーイングだと叫べるかのように、掘り起こしてあげることが、それに気づいた人間のつとめなんじゃないだろうか。
なんとなく、なんとなくではあるが、その昔に先人がこの自然の中で感じたことからおこなっていた習慣に習い、再現し、デフォルメして、おこなうことが、結果として、顔の見える関係として、SFCと地域が有機的につながりある村になるんじゃないかと思えてきた。自分都合だが、村とは営みが常時ある状態のことではなく、村的な人間関係、村的な人間交流がある状態をイメージしている。ゆえに、年1度でもよい。村人たちがその土地に関わりが持てていることを感謝する祀りごとがあることが、1年という周期をもって暮らしている現在の私たちにとって、心地よい感じのイベントになるような気がしている。

11月26日の日曜日。リッキーくんと、リッキーくんとの出会いをつくってくれ、今回も同席してくれた宍戸くんとともに、リッキーが調べはじめた情報を持って、遠藤の地を歩いてみることにしたい。きっとその日は晴れると思う。


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