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揚がるイカを眺め、湯気を浴びるだけの話(短編カス小説)
ナゼ働かないといけないのか。
6月13日05時42分。私はスマートフォンを軽く眺めては何もないことにガッカリする。
ガッカリ?私は何を期待していたのだろうか。ーいつもの時間だー
それを確認するなり、慣れた手つきで手早く作業着に腕を通し、黒い靴に履き替える。更衣室から緑色のコンクリートに向かい歩をすすめた。その後は心をどこか身体の奥底にしまい込んで見えないようにする。これで安心だ。次に心が顔を出す頃には夜になり、そして一日が終わりを告げる。
そんな変わらない一日のはずだった。憂鬱。そんな複雑な感情ではない。寸胴に張られたお湯の中で知らず知らずに茹であがっているような、又は胸の内側からウジが這い出るようなコノ気持ち悪いだけの単純な感覚。そして、この気持ち悪さは私一人の意志でどうこう出来るものではない。私自身がいくら足掻こうと必死になったところで満たされることはない。
おそらくは…天気の所為だろう
出勤前に吸った外の空気は雨でじっとりと重くなっていた。それを吸った私の身体もじっとりと重くなっている。普段の私なら"心"を心臓よりも下に、胃や肺よりもっと奥底にひっそりと閉まっておける。しかし今日は湿った空気がつま先から腹の上までズッシリ重く溜まってしまった。そのせいで私の心は心臓よりも上に浮き上がり、ついには口内にまで届いてしまった。
そんな心を無視して、私の腕はそそくさと勝手にバンジュウ袋を開けた。私の目の前には四角に切り分けられたイカが並んでいる。見慣れた光景。
イカとは言ったものの、それらには衣がつけられている。それを"イカ"と認識して良いのか私には分からない。改めて私は"イカらしきモノ"をフライヤーの中に20匹並べると、彼らはジュウゥと声を揚げ、各々流れていった。
私が先程のイカを流してから120秒がたった。私の腕は再びバンジュウの中を弄り、余分な衣を軽く払うとフライヤーの端に20匹並べた。私は再び流れていく彼らを見送る。
感覚的に分かる。だいたいこんな日は一日が長いのだ。退屈。
見送るといえば小学生の頃、私は先生になりたいと言っていた。私は頭の出来が悪い子だった。要領悪く、物覚えも悪いので両親は私の事を嘆いていた。きっと将来は…が父親の口癖で、出来損ないと理解しながらも良い親としての立ち位置を守ろうとしていた。私は九九が特に苦手だった。中でも8の段の難しさは形容しにくい。
なぜだろう、最近憎いものが増えた。
スーツの奴らが憎くなった。昔はそんなこと無かったのに見かけるたびに悪態をつきたい衝動に駆られる。そうだ、心当たりがあるとすれば、この間の社員は無能だった。売り上げが悪い、生産性が悪いだの厳しい口調で指導者の様に振る舞ったかと思えば、SNS始めただの、俺もお弁当のパッケージ変更に携わっただの「一緒に頑張りましょう」なんてフレンドリーに接してきた。フレンドリーなんていっても声のトーンだけで中身はいかに会社に貢献してきたかの自慢話にしか聞こえない。最初こそ彼といる時間は非常に煩わしく感じたが、「パッケージ変更の時上司が~」と話している姿は何もないクセに見えない何かを必死につかもうとしている様で滑稽だった。
その時は面白い奴というだけで良かった。しばらくして更に商品の売り上げが下がると彼は「現場が~」「品質が~」など文句を言いに来るようになった。私はカップ麵をすすりながら食堂の壁にもたれかかり、そんな彼を眺めていた。丸椅子ではなく、心地よい背もたれが欲しかった。
10歳のころ、私の小学校では1/2成人式があった。教室には保護者がおり、それぞれが<将来なりたいもの>について発表した。パティシエ、研究者、サッカー選手。私は何と言ったのか思い出せない。ただ、私の友人は「サラリーマンになって普通の家庭を持ちたいです」と小学生にしては高度なボケをかましたせいで、PTAで議題に上がるほど問題になっていた。
その事を私達は「馬鹿馬鹿しい」と笑いあっていた。あの発表会で本心で話している同級生など少なく、遠い未来の事を「わかるもんか」と軽んじていた。あの頃はみな同じだった。みな同じく何も分からなかった。馬鹿という事すら理解できない。
友人はサラリーマンになり、地方に飛ばされた。
ふと我に返り、調理場の柱に目をやる。まだ2時間しか経っていない。あと最低6時間。せめてもの昼休みすら2時間はこの場所にとどまらないといけない。
アブラの纏わりついた腕を眺めながら、私はこの弁当を食べる人について考え始めた。
おじいちゃんだろうか、おばあちゃんだろうか、もしくは疲れた主婦かもしれない。中にはサラリーマンかもしれない。弁当を食べるサラリーマン。私は笑いがこみ上げてきた。
「サラリーマンが弁当を食べるもんか、あいつらはオフィスを出たら、わざわざ並んで飲食店にはいるんだ。そして休憩時間がなくなるんだ。弁当なんて食べて休憩する奴がいるか」
フライヤー作業からパッケージ作業のヘルプに入る。私の腕は無意識に、流れてくる弁当に蓋をかぶせる。
「そもそも弁当を食べる奴がいるもんか、あいつらがおかしいんだ。こんな物買うやつがいるから私がこんな目にあうんだ」
ふと面白い事を思いついた。例えばこの弁当がびっくり箱だったらどうだろうか?もちろん異物が入れば大問題になる。そんな事があれば私のお給料にも影響がでてしまう。だから、見えないびっくり箱。
そうだな、怨念,,,みたいなものが詰まっていたらどうだろうか。蓋をする際、5個に1個、私の苦しみを詰めるのだ。そしたら開けたらビックリ、なんか嫌な気持ちになるのだ。いつも通りの日常のはずなのに、訳も分からず嫌な気持ちになるなんて、こんな素晴らしい退屈しのぎがあるだろうか。でも怨念だけじゃあ味気ない。そうだな10個に1個は幸運を詰めたらどうだろうか。例えば子供なんかが幸運弁当にあたったら面白い。
目の前の弁当に蓋をしたところで、ふと時計が気になった。もう休憩の時間になっていた。
窓の外は小雨が降っていた。6月だが少し肌寒い。
いつものように給湯器でカップ麺にお湯を注ぐ。
夏になるとコレができないから非常に困る。給湯器は2台あるが電子レンジは1台しか無いので待ち時間がある。冷えたおにぎりでも良いがなんだか腹溜まりが悪いのだ。
カップ麺の蓋を開けると白い湯気が顔に吹きかかった。その瞬間、私は誰かの苦しみが私の中に流れてくる感覚に陥った。やるせない気持ちが雪女の吐息のように肌にまとわりつく。勘違いなのは分かっている。それでも私は溢れ出る笑みが抑えきれなかった。なんて楽しい1日なのだろうか。