豊かに暮らしたいだけなんだ。科学の発展に未来を見いだせない。
今よりも科学が発展して、宇宙旅行ができるようになったとしても
「良い時代になったね」と子供に話しかける自分がイメージできない。
AIが出てきて社会問題になっている。文明が発展しているはずにも関わらず、暮らしは豊かにならず心配事ばかりが増えている。
科学はよいものだと信じて大人になった。しかし、生まれ続けるのは利害に満ちた科学の産物。科学が発達しより複雑化した人や社会との関係。子供のころ夢見た<家から学校までの滑り台>は実現しそうもない。
正直なところ、街暮らしに疲れてしまった。科学社会にも疲れてしまった。
利害関係でしか行動できない人とのつながりに疲れてしまった。
現在の経済システムの基本的前提は
「人間は基本的に利己主義である。そして利他主義や協力関係よりもエゴイスティックな計算で物事を判断する」
ようするに<自分が一番かわいい>ということだ。
これは生物学でも言われている。一見すると相手に利益がないように見えて、実際はお互いに利用している。有名なところだとクマノミとイソギンチャクなどである。また我が子の為という愛すらも<遺伝子レベルでの合理的行動>として定義づけられてしまっている(利己的な遺伝子)。
勉強すればするほど、科学は人間の醜さを私に突き付けてくる。
私は科学はよいものだと思う。文明社会の発展も望んでいる。
それでも心のどこかに科学を拒絶する自分がいるのだ。
私は<豊かな暮らし>を望んでいる。この先に豊かさはあるのだろうか。
憧れの田舎暮らし
【要約:田舎暮らしVlogは性的欲求を満たすポルノ動画に等しい】
自分より年上の大人たちは口をそろえて
「最後はお金じゃないのよね」と言うが、じゃあなんなのよって話である。
私のSNSタイムラインやYouTubeのおすすめ欄に、田舎暮らしスローライフ系コンテンツが表れるようになった。
田舎暮らしスローライフ動画のコメント欄では
・「こんな豊かな暮らしをしたい」
・「どこか懐かしくて癒されました」
・「私もこんな生活してみたい」
・「静かで安心する。贅沢な時間の過ごし方ですね」
など肯定的な意見が数多くみられる。
私も動画を視聴して豊かな生活だと思ったし、少し憧れる部分もあった。
しかし、しかしだ。何が豊かなのだろうか?心の豊かさ?自然の豊かさ?
私は「豊かな生活」を望んでいるのに彼らのように田舎に移住しようと行動しないし、数多くの視聴者も街の暮らし(以下全て都会人と定義する)を捨てずにしがみついている。数十万の「いいね!」があるにも関わらず移住者はそんなに多くない。
移住の大変さを考えたり、暮らしていける自信がなく不安な気持ちが湧き出るのもわかる。でも「本当に豊かな暮らし」が手に入るならささいなことではないだろうか。
私や視聴者は本当に田舎暮らしに憧れているのだろうか。
田舎暮らし動画はポルノである
まず、田舎暮らし動画(コンテンツ)を定義しないといけない。だって田舎暮らしと言っても種類は様々だからだ。私は都会人なので都会暮らしで例えれば、渋谷や池袋のような観光地的(ある種スラム街的)都会もあればタワーマンション民のような煌びやかな都会人もいる。また埼玉、神奈川のような郊外の都会やベッドタウン的都会もある。田舎暮らしも種類は無限である。
豊かな暮らし。という観点に絞る。
まず、何が豊かであるか。大きく2点。時間と自然だ。これに当てはめると今回探っていく、田舎暮らしスローライフコンテンツは次を満たしているものとする。
フリーランスやFIRE、株といった手段でお金を確保して田舎暮らしを始める場合もあるが今回は対象にならない。スローライフという点であてはまりそうだが、生活手段をすべてお金で解決する場合、社会情勢に縛られ続ける。
後述するがお金を元手に自給自足生活を始めない限り、別の生き方である。
この定義をすると、都会キラキラタワマン暮らしインフルエンサーと田舎暮らしスローライフはコンテンツとして非常に似ている。
例えば、女・ドラッグ・金、という憧れを産むラッパーと田舎暮らしvlogは、本質的に同じじゃないか?という私からの問である。
実は2と3は同じことを言っている。
例えば夜ご飯に親子丼を食べたとしよう。都会人は鶏をさばくことも玉ねぎを作ることもできない。お金を払ってご飯を食べるとは他人に依存することとなる。直接的には販売人1人の要に見えるが裏には膨大な数の人間が控えている。より高級になるほど、かかわる人数は自然と多くなるのだ。
つまるとこ、この2つは価値観を派手におくか、質素におくかの違いでしかない表裏一体の関係であり、
資本主義というパラメータで見た際の最大値と最小値である。
金があるほうが豊か?金がないほうが豊か?という好みの問題だ。
そしてこれら2つを同種と設定したにはもう一つ理由がある。
これらは、不都合な現実を意図的に隠している。
憧れの田舎暮らしVlog(インフルエンサー)に話を戻す。
各種、田舎暮らし系Vlogに共通して言える事の一つにスーパーや電車など人工物や公共施設の出番の少なさがある。
・朝から畑を耕す→収穫→おいしそうに調理
・朝から漁にでかける→魚つる→なんか調理
・なんか光さす森とか湖畔とかある→なんか蜂蜜とかで自然派デザート作る
・古民家でカフェを開く→なんかオシャレな料理とか作る
普通に考えれば完全自給自足は不可能である。
そのビニールハウスどうした?近所にゴムの木でも生えてた?鉄のスコップ使ってるけど製鉄所出身ですか?
本当の田舎暮らしというならば、コメリに軽トラで向かって爆買いしたり、ネット回線が遅いと文句を言ったり、夜に酒飲みながらTV見て馬鹿笑いしてる動画も溢れているのが正しいはずだあまり人気がない。
人気がないので動画(コンテンツ制作者)は意図的に避けるようになる。
そして出来上がるのは自然を極端に美しく強調した映像である。
「いや、そんなの当たり前じゃんwww。誰が知りたいんだよwww」という意見や、「いや○○さんは違うから!」という意見もあるだろう。
ここで言いたいのは、我々の目に入る物は誰かが私たちに向けて作った偽物である。という事だ。
ノンフィクションには極めて近いかもしれない。だが、それは風景画と実際の風景が同じだと主張しているようなものである。
綺麗な映像で癒されたい、豊かな暮らしをしりたい、など特定の欲求を満たす点で田舎暮らし動画はポルノに等しい。
性的欲求を満たすための動画のように、何かを満たすためのコンテンツである。この何かとはなんなのか。
ポルノ動画が満たされない性的欲求を疑似的に満たすならば、
<田舎暮らしスローライフゆるふわVlogコンテンツ>は私たちの何を疑似的に満たそうとしているのだろうか
ちなみにボロクソ書いているが、私は田舎暮らし動画好きです。
自給自足は奴隷解放神話
ここまで来ると議論がつまる。
何を求めている、何に憧れている?としてしまうと、
田舎暮らしに憧れている。自給自足手段を知りたい欲求、自由に憧れている、豊かさに憧れている、という風になってしまいその先に進まない。
だから憧れてというポジティブな方向の議論は捨て、ネガティブな方向で攻めるべきなのだ。
つまり「なぜ都会人はなぜ田舎暮らしに憧れているか」
ではなく「都会人は何に不満を持ち何を恐れているか」
という考え方である。
1【会社辞めたい、仕事だるい】
ちょこちょこでてきた、スローライフってなんなんだって話である。
田舎暮らしを考えると絶対にスローライフは外せない。FIREでも外せない単語だ。そして多くの人はスローライフに「豊かな時間」のイメージを抱く。
乏しい時間ってなんなの?って話だが、間違いなく自分の時間が貧しいのだろう。なんで「自分の時間が貧しいの?」会社や学校があるからだ。
自分の一週間の持ち時間は168時間であるが睡眠時間6時間とすると、実際の活動時間は126時間となる。仕事は8時間だが休憩1時間+(短く見積もっても)通勤往復1時間なら仕事の消費時間は10時間である。
もし週に2日休みがあるとしても、一週間で50時間が仕事であり活動時間の40%が仕事となる。辛すぎる。ほんとに辛すぎる。
しかも実際は仕事で疲れてるから帰宅してすぐプライベートなことなんてできない。会社のために生きているようなものだ。これじゃあ奴隷みたいじゃないか。
そう、サラリーマンは他人のために生きている。
100歩譲ってフリーランスだったとしよう。それなら他人ではなく自分の為にみえる。しかしフリーランスだって他人のために生きているのだ。
お金をもらうとは、他人からお金をもらうことだからだ。
「生きるためにはお金が必要」=「働くことは自分の為」は現代社会を成り立たせるための勘違いである。実態は
「他人のために働く」=「他人のおかげで生きることができる」であり、労働中は自分の時間は存在していない。(ただし、やりがいを見つけるなど労働事態を自分の為の時間に変換することはできる)
都会人の不満点の1つはココではないだろうか。
見ず知らずの誰かのために人生の大半を使用してしまう。
スローライフ願望は労働からの解放願望であり、同時に他人(社会)からの解放でもある。FIREのイメージ通りともいえる。
2【他人がいないと飯がたべれない】
もうひとつの観点からも見ていこう。
「毎日頑張って働こう!一生懸命労働しよう!」
さて我々は必至こいて何を作っているのか。
答えは貴族様をうみだしている。
もし全員が本当に生活のために仕事しているならば、今のような高度な生活は出来ないだろう。できてせいぜい縄文土器とか貝殻アクセサリーである。
ここで、生きるために必須なことを奴隷にやらせるとどうなるだろうか。
1人が1日生きるための食料確保時間を3時間としよう。ここで奴隷を捕まえて9時間働かせる。すると2人はなにもしなくても飯にありつけるのだ。貴族は絶対に奴隷のしていた仕事はやらない。そして余った時間はファッションや娯楽などにふけるのだ。もちろん学問や科学の発達に寄与する場合もあるが、貴族は絶対に奴隷の仕事はやらない。そして科学が発展して食料確保時間が1時間になっても奴隷に9時間働かせる。すると貴族が2人から9人に増えることになる。すっげえな!感動的である。(厳密にはいろいろ違うとだろうがザックリこの通りだろう)
ただ、現代ではすべての国民に人権が与えられている。たとえブラック企業であっても、昔の西洋貴族のように寒いからと内臓に素足を突っ込まれて死ぬことはない。いちおう人権があるので。
現代で上記のような奴隷は存在していない(多分)。
じゃあどういう状態かというと「全員奴隷で全員貴族」である。
ここで「貴族は絶対に奴隷の仕事はやらない」と、奴隷の仕事とは生きるために必要な労働である事が関係する。
都会人は本当の意味で1人になった場合、夜ご飯すら食べれない。
米はどうやってつくるの?飲み水はどこで汲んでくるの?火はどうやっておこすの?薪はどうやって調達するの?斧や包丁や鍋はどうやってつくるの?
現代の<人は一人では生きていけない>と古の<人は一人では生きていけない>は意味合いが大きくちがう。現代人は本当に一人で生きていけないのだ。全員が貴族で誰かに依存しており、全員が奴隷で誰かのために働かされている。
都会人が恐れているものは「現代社会の崩壊」。すなわち「生きていけなくなること」ではないだろうか。業務の細分化が進んだことで、誰かが誰かの生活の一部になってしまっている。現代は極めて複雑な多重下請け奴隷社会である。そして都会人(現代人)はこの生活に満足していない。
それは「自分以外のやつが俺の為に働けよw」という心理である。
一番最初に書いた<自分が一番かわいい>。みんながみんなそう思ってるし、みんなして他人を搾取しようと必死になる。
これを解決するのが田舎暮らしスローライフ神話である。
自給自足を行うことで1人(もしくは家族単位)で生きることができるのだ。それはすなわち奴隷労働からの解放を意味する。
これはすなわち他人に縛られない状態、自由ともいえる。
田舎暮らし動画における豊かな生活とは
<他人に依存せず自分で決めることができる状態>
とでもいうべきか。田舎暮らしスローライフは、現代版ノアの箱舟とでもいえるかもしれない。
ここで田舎暮らし動画に落ち着くか、金持ちタワマン生活に憧れるかはお金の力をどこまで信用できるか(他人をどこまで信用できるか)という好みの問題だろう。
ちなみに私は田舎暮らし動画のほうが好みである。多分、人間不信なんだろう。
田舎暮らしスローライフは神話である
最後に残る疑問が、心からの本当に田舎暮らしを正しいと思うなら何故実行に移せないか、という点だ。
確かに難易度は高いが動画の向こうの人間はそれを行っている。
そう、<動画の向こう側の>人間は行えている。たとえ、心の底では無理(偽物)だと分かっていてもそれを実行している人はいるのだ。
まあ単純に難易度が高すぎるのだろう。庶民の大半が大金持ちになれないように田舎暮らしもなれないのだ。ノウハウがないから。
金持ちの子供が金持ちになりやすいように、田舎暮らし(農家や漁師)に関わってきた人なら田舎暮らしスローライフの難易度は下がるかもしれない。けど都会人の多くはそんなことない。だって生活の大半を他人に依存して生きてきたんだもん。いきなり全部やれってなって出来るわけないじゃん。
ただ田舎暮らしという選択はできなくても家庭菜園や野草採取、釣りくらいなら実行に移してるかもしれない。
しかしそんな小さな行動すら起こさない人もいる(私のように)
ここに新たな見方をしてみた。それは
都会人は田舎暮らしスローライフを自分の生活より下にみている
そう、心の底では馬鹿にしている可能性だ。
その証拠として田舎暮らしスローライフ動画と切っても切れない人気動画、
田舎暮らしスローライフ失敗(移住失敗)動画が存在する。
移住と検索欄に打つと移住失敗と検索補助が出でくる、それほど関連するキーワードである。
本当に移住したい人が参考に見ている可能性もあるし、同じような経験をした人が共感している可能性もある。でも大多数の人の意見はこうだろう
「ほ~ら、みたことか。やっぱりうまく行かないじゃん。馬鹿なことしてえw。今の私の生活のほうがましだわあ」
まあ、これは言い過ぎた。失礼すぎましたね。
ただ、アイデンティティや文明は拒絶することで確定する側面もある。
他人と私は(あの国と私の国は)ここが違うと自覚する事で私はこうなんだってアイデンティティを確立できる。他人と私が全く同じだったら区別できないでしょ。
都会人は田舎暮らしスローライフ生活を見ることで、今の自分の暮らしを認識することができる。田舎暮らしを憧れつつも、拒絶する事で都会暮らしの今の自分を確立できるんです。良さも、悪さもね。
だからある意味、こういうコンテンツは自分探しの旅に近いのかもしれない。自分探しの旅は往々にして「我が家が一番!」に落ち着く。スプラッシュマウンテンのうさぎどんですね。笑いの国は我が家だったって言ってたね。
だから<いいなあ>と思いつつも<まあ、今の暮らしのほうが良い(便利)だよね>と思うための動画なのかもしれない。
そういった意味で、憧れなんて碌な言葉じゃないんだと思う。
目指す気も実行する気もなく他人を羨やんでるだけ。
本当の憧れは<目標>って言うんじゃないかな。
どうやら田舎暮らしスローライフは私の目標ではないらしい。
まとめ・陰謀論はチート
じゃあ結局田舎暮らしスローライフ動画ってなんなのよ?
ってとこでまとめると。
・動画を通して奴隷労働からの解放を疑似体験して自由の欲求を満たす
・動画を通して今の自分の暮らしを正当化することができる
・良い点があったら今の生活に生かすこともできる
これが田舎暮らし動画の面白さの条件な気はする。
これと似たような事はないだろうか。
もし田舎暮らしスローライフ動画を好きな人に勧めるとしたらどんな動画があるかな?って考えてたら
あれ?
陰謀論コンテンツって最強じゃない?
だって<自分の理想の暮らしは、明確な特定の誰かに奪われてる>って前提条件でしょ。あのコンテンツ。陰謀論の基本はあなたの生活を誰かが脅かそうとしている、もしくは脅かしてるってことでしょ。
田舎暮らしみたいに、自分と他人を比べるなんてめんどくさい手段省いて自己の正当化ができるのよ。だって自分のせいじゃない明確な誰かが原因だもん。しかも特定の誰かに攻撃することで自由の欲求も満たせる。自分のせいじゃない明確な誰かが原因だもん。しかも攻撃するだけで自分の生活が良くなる(と信じてる)。
自給自足とかめんどくさいことしなくても○○反対!私は拒否します!っていうだけで、自由解放欲求と自己正当化欲求と生活改善要求を満たすことができるの?
チートじゃんチート、欲求解消最強コンテンツじゃん。そりゃはやるわ。
田舎暮らしコンテンツから新規コンテンツ開拓の可能性でも探ろうかと思ったけどなんも思いつかんわ。
あーなんか全部馬鹿らしくなってきた。
にゃーん、にゃーん、私はねこです。にゃーん。
すべてはGoogleのさじ加減で決まる
いっぱい書いたぜ!
よっしゃあ、じゃあ最後にGoogleトレンドでYouTube検索に絞って、世の中の人がどれだけ田舎暮らしに興味をもったかしらべるか!
お?5年前と比べると少しずつのびてますねえ!
私のSNSタイムラインに出てきたのも、みんな都会生活つかれて田舎が恋しいのかな?
ん?2023年1月26日、なんかすごいことになってるけどいったいなにが,,,
「移住 失敗 もう 限界 引っ越し ます」
あ~地域おこしたい隊の人の動画が朝日新聞の記事になってますねえ。
(とても嫌な予感がするなあ)
っつ、、、、
スローライフ関連は異世界転生ラノベで埋め尽くされてますかあ。
そういえば異世界転生も現代社会不満解放コンテンツだったな。陰謀論だけじゃないんだな、、、
ま、まだ田舎暮らしの検索してないから大丈夫。大丈夫。
はい、2023年3月、りんの田舎暮らし。【移住失敗】村から逃げ出した理由をご説明いたします。4月NEWSポストセブン記事投稿、9月コレコレがとりあげる。
はい、くそーーーーー。ここまで田舎暮らしコンテンツの良さとか考察したけど意味ありませんでしたあーーーーーー
結局さあ、都会人とか関係なく大多数の人は他人たたけりゃコンテンツとして最強なのよ。SNS分析とかいらないのよ、他人叩ける手段さえ用意すりゃ十分、あとは勝手に伸びてくのよ。
みんな今の暮らしに不満あるんだろうけどさあ、グルメとか、旅行とか、自分探しとかそんなちゃちい事より他人の不幸が一番の娯楽なわけ。貴族社会からなあんにも変わってないっすねえ。
移住とか自分磨きとか自分を変えて生活を良くしようねってコンテンツを提供するよりも、陰謀論とかゴシップとか攻撃的コンテンツで気持ちよ~く正当化しときゃあ満足して毎日働けるわけよ。
あ、陰謀論も正しい場合もありますものね。正当化なんて言っちゃいけませんよね。すみませんねえ私はネガティブ思考なものでして、はは。
結局さあ、私のSNSも退職とかで検索かけたから退職→移住→田舎暮らしみたいな感じでサジェスト決まったり、YouTubeのほうもキャンプ料理動画→古民家暮らしとか、移住失敗動画が新聞記事になってバズる→YouTubeおすすめ欄にでる→関連で田舎暮らし動画も流れる。
みたいなさあ、ルートはわかんないけどGoogleさんがルート決めておすすめしたわけでしょ。
世の中なんて、マスメディアとGoogleで決まるんでしょうね。
まあ気が向いたら統計省の移住統計でも探してみますよ。
豊かな社会はまだまだほど遠いんでしょうね。残念。