ソクラテスの逆襲
太陽はまもなく頂点に達するころだ。影は短くなり、日差しが強く照り付ける。40度に達する渋谷公園は木漏れ日の中と言えど人々が過ごすには少々苦痛を感じる。
男は水遊びをする子供をながめていた。
不思議なもので、人々は暑くなるほど外に涼みに行った。屋内に籠るのに飽きたのか、はたまた広告会社が作った社会の流れなのか。それとも、人間に備わった本能と呼ばれるものかもしれない。暑くなったときは水を浴びなさいと、DNAにプログラムされてる。いくら文明が発展しようとも人類の設計図は人間には変えられないのか。そんな事をぼんやり考えながら、男が水辺を眺めていると<ピピッ>と端末からアラームがなった。太陽が昇り切り、気温が更に上昇する事を示す音だ。
「もうそんな時間か」
男は呟きながら、ダイヤルを3回まわすと空調服の温度が6度下がった。
外気温の変化に応じ、自動で温度を調整するありふれたものでなく、あえて旧式を好んで使用した。自分で操作する煩わしさはあるものの、この手間が男には心地よかった。なんでもかんでも自動化するのではなく、自分の手でアナログに対応していく。いつか科学がなくなった時、力になるのは自分の知識と技術だ。男にとってのアナログは、生きる上での安心要素だった。
また、現代の若者の頭の悪さは、文明の発達が原因だと男は考えていた。空調服から、今日の献立、スポーツのトレーニングメニュー、はたまたオススメの観光場所まで。あらゆるものが自動で行え、考える楽しさが失われている。男は教員だったため、生徒に自動化の不幸を語ることがあったが、そのたびに時代遅れだと冷笑の眼差しを向けられていた。
男は自分の生徒たちがつくる未来が心配だった。
未来はどうなっているのか。
午後の授業が始まるため、そろそろ学校に向かおうかと男は立ち上がる。
そのとき。
ピカッと、
男の目の前が強く光輝いた。
光は局所的で、まるでトンネルのようだ。
光の中には複数の人物の影が現れこちらに向かって歩いている。突然の侵略者に、男は身構える。しかし、彼らの服装をみるやいなや男は興奮しはじめた。
「タイムマシンだ!」
みなれない服装や機材は現代とは違う世界から来たのだと一目で分かる。
彼らの中には武装している者もいたが、敵意がないことも明らかだった。
「私達は2050年から来たものです、ここは素晴らしいところですね」
「良ければ私達と少しお話しませんか」
「ええ!もちろん。私が分かることはなんでも、お話致しますよ」
笑顔まじりに、男は歴史や政治など必死に話しを続ける。時折混じる現代の人類がいかに怠惰であるか、という内容は彼らを退屈そうにさせた。
彼らの中で学者だけ興味深そうに男の話を聞いていたが、それ以外の者は男よりも周辺の風景に気を取られていた。
男はそのことに気が付いていたので、ひとしきり話をして満足したところで、「では、街中も案内しますよ!」と案内を始めた。
男はソクラテスに憧れていた。遥か遠い昔に存在したとする偉人。過去の人類は現代人よりも思考力が高かったとされる。では、未来はどうなのだろうか。タイムマシンで来た学者と会話するたび、男はそんな事を考えていた。
男が午後の授業のことなどすっかり忘れ、彼らのガイド役として数時間案内した頃だ。
「この水はなんですか?」
気が付けば先ほどまでカラカラだった道路には水が流れている。時刻は14時に差し掛かろうとしていた。しまった!男は彼らを見たが、遅すぎた。水は
道路の縁石を超え歩道に流れ始めた。
彼らは防水ベルトも、撥水ストラップもつけていない。もちろん男もつけていないが、現代を生きる男と違い、過去から来た彼らは対応できない。
数秒もしないうちに水は腰の上まできてしまった。
「何をしている!臨界時間だぞ!」
息をとめろ。何か握れ!男が叫ぶもむなしく、彼らはいまだに慌てふためくばかり。
彼らは大量の水と共にどこかに流されて行った。そして数分もしない内に水は流れてなくなり、濡れた道路にすがすがしい夏の風が吹く。
「夏に川が出来るのは当たり前だというのに」
急いで役所に連絡電波を送ると救助船が飛ぶのが見えた。そこまで遠くには流されなかったらしい。夏の川で流されることは良くあるので、そこまで心配はしなかった。
「古代人はこんな当たり前のことも知らないのか。」男は自分が悪いのか?
とボヤきつつも急いで彼らの元に向かった。
水に潜った際、仕事をすっぽかしたことを思い出したからだ。彼らにあって古代人保護証明書を発行しないと給与が減らされてしまう。
男は古代人に謝罪するのが、なんとなく嫌だった。
その後、男が原因で古代人と現代人が戦争になる事を、このときの男はまだ知らない。