「小説」狐の夢入り
今日も暑くてやんなっちゃうなと思いつつ、ダラダラと人混みのなか歩を進める。私の住んでいる集合住宅では夏になると週末に2回ほどフリーマーケットを行っている。今日が開催日だという事をうっかり忘れていた私は、なにも考えず昼ごはんを買いに出掛けてしまった。
「いつもなら絶対前日に買い溜めするってのに」そんな事をぶつぶつ思いながら必要のない”何か”を探して右往左往する邪魔な住人を避けていく。そもそも裏通りから行けば人混みに巻き込まれないがスーパーに行くには少し遠回しになってしまうため道を変える気力が湧かなかった。そんなこんなでフリーマーケットエリアを抜けようとした時一つの名札が目に入った。
「狐の夢入り?」
安っぽい緑のブルーシートには似つかわない檜の様な高級感溢れる四角い箱がそこに鎮座しており、側面には可愛らしい狐が彫られていた。
「そうよ!狐の、ゆ、め、い、り!」
ボサボサした髪のおばさんは20センチ程の高さの箱を指差しながらニコニコしてくる。
「みんなさぁ、値段ばっか見て高い高いってぐちぐち言ってくるのよ。金ばっか意識してやーねー。せっかくこだわりの一品を並べてあげてるっていうのにっねっ!」
やや早口の愚痴を聞き流しながら値段を見ると30000の数字が書かれていた。思わず三万円!?と言いそうになったが愚痴を思い出しぐっと堪える。「なんで狐の夢入りなんですか?嫁入りとかじゃなくて?」と返すとおばさんは、センス良いじゃない!なんて手を叩きながら喜んだ。
「そう狐の嫁入りってあるでしょ?あれと似たような事を起こせるのよ。この子はね、晴れた日に使うと雨じゃなくて虹をおこすのよ。言うなればバージンロードを夢見る狐ちゃんっ!うふふっふ素敵っねっ!」
おばさんのイントネーションは少し独特だった。早口で話しながら水筒を取り出し半円状に窪んだ箱上部に水をかけはじめる。「檜にも見えるけどプラスチックなのっよっ」その後もおばさんは余計な事ばかり喋り続ける。3万円もするのに自ら価値を下がる事ばかり話す上、さらに水は相当入りにくいらしく、入水量の半分は排水穴から漏れていた。わけの分からないおばさんを眺めながら絶対買わないだろと思った瞬間だった。「少しはなれってっ!」
<<こぽぽん!コンッ!プシッュ!!>>
狐箱が鳴いたと同時に目の前に30センチほどの虹がかかった。霧っぽくならず乾いた空間に産まれた虹は幻想的だったが一瞬で消えてしまった。しかし私の心を掴み取るには十分な長さだった。
「さん…まん…えん」小声で呟く。「貴方なら渡してあげられるわ!この子を大切にしてくれそうだっしっね!」おばさんの早口に黙って欲しいと思いつつ。今日のご飯がなくなる覚悟と共に財布の中身を全部引っこ抜いた。
おばさんが言うにはこの狐箱は、街一つ分の巨大な虹をかけることも出来るらしい。ただし満タンに貯まる前に気まぐれで虹を起こしてしまうため相当難しいらしい。さらに言うには満タンになるまで1ヶ月以上かかるとの事で気の遠くなるような話だった。
「水を圧縮するから少しずつしか入らないのっよっ!あと虹を掛ける時、触ったり覗くと大怪我するからダメっよっ!」
どうやら見た目の簡素な作りからは想像出来ないほどパワフルらしい。狐の子というのは人間よりも力強いという事を表しているのかもしれない。そもそも動力は一体何を使っているのか、狐の妖力とかいう奴なのか。
防水性はバッチリっよっ!との事なので安全性も考えてベランダに置く事にした。(それも穴の先が屋根に当たらないよう斜めに)
その後、空のプランターに無造作に投げ込まれていた自動水やり機に手を伸ばし、水をいれると水先を狐箱に向けた。
そう言えば恋人と別れて半年か。
プランターは元恋人が置いていった物だったが、私には必要なかったので丁度捨てやろうかなんて思っていた所だった。しかし狐箱に向かって滴る水を眺めていると勿体ない精神でとっておいて良かったと思えた。最終的には気が合わず喧嘩別れした理想とは程遠い恋人だったが今回ばかりは役に立った。
「バージンロード」
おばさんの声がこだまする。箱に描かれた狐はどんな結婚を夢見ているのだろうか。
大きな虹が掛かるほど盛大な結婚式だろか、そしたらお相手は王族って奴だろうか。そもそも西洋風なのだろうか。もし中規模の結婚式だったとしても相当な金持ちか、もしくはモデルさんとか有名人とか?
<<こぽぽん!コンッ!プシッュ!!>>
10分と経っていないのに狐箱は勝手に虹を生み出してしまった。
…この狐は以外と現実主義者らしい。
たが現れた虹は小さくても美しかったので、なんだか現実的に生きるのも悪くない気がしてきた。私も小さくても夢のある結婚ができるのだろうか。
「まあでも、私が結婚する時くらいは大きな虹を頼むよ」
<<こぽぽん!プシッュ!!>>