大学時代に実家を出て一人暮らしをした当初、大学の近くにあった家具付きの女子学生会館に住んでいた。1年ほど住んで、学生向けのマンションに引っ越した時、初めて家具類などを買い揃え、自分の部屋を作った。
実家からやってきて引っ越しを手伝ってくれた母が帰り際、「生活感を出しなさんなよ。布巾なんか台所にかけると、一気に生活感が出るから」というようなことを言ったのを今でも妙に覚えている。その後何度か引っ越しするたびに母が言ったことを思い出し、最初のうちはハンドソープやシャンプーなど、おしゃれなパッケージのものを買ってみたりするのだけど、暮らしていくうちにあっさりと「おしゃれ」は押し寄せる「生活」の雪崩に負けるのだった。
「生活感を出しなさんな」と言った母が暮らす実家は、電気工作好きで細々とした部品や工具を集めてしまう父と静かに戦いながらも母が片付けてきたおかげで、清潔ですっきりとはしているものの、細部にしっかりと生活が刻まれている。
トイレでは謎の豚モチーフの洗濯バサミがタオルを挟み、食器棚にはいつからか母が好きになった招き猫の置物がずらずらと並ぶ。頭がぶつかるためなのか、乾燥機を載せた台の角に取り付けられたカエルの形をした緑のクッション材。使うごとに上からぐるぐると巻いてクリップで止め、残り少なくなっても中身をでやすくしている歯磨き粉。使い古したタオルを切って作った台所用の雑巾。棒状のものにかけられて干されたジップロック。
台所に転がるメモには、1週間分の献立や買い物リストが鉛筆でぎっしりと書いてある。
父は電気工作だけでなく日曜大工全般が好きだったので、真空管ラジオなどの娯楽品だけでなく、例えばヒーターの風を足元に送り込んで逃がさないための背の低い衝立や、いつでもTVを引き出して角度を変えられる伸縮性の土台、ティッシュケース、各種の棚など、家中で父の作ったものが暮らしの細々としたシーンを支えている。
私の大好きな『すいか』というドラマの中に、小泉今日子さん演じる、3億円のお金を横領して各地を逃亡する「ばばちゃん」という登場人物が出てくる。警察に追われながらこっそり、小林聡美さん演じる元同僚の基子さんが暮らす下宿を訪ねた際に台所に残った梅干しの種を見て、その時の心境を思い出すシーンがある。
「朝ご飯、食べた後の食器にね、梅干しの種が、それぞれ、残ってて。
何かそれが、愛らしいって言うか、つつましいって言うか。
あ、生活するって、こういうことなんだなって、そう思ったら、泣けてきた。」
台所、廊下の棚、洗面所、トイレ……。必要なものを必要な時に取り出せ、快適に暮らせるよう、何十年もかけて日々試行錯誤を重ねてきた家は、生活感にあふれていようが、ダサい置物があろうが、とても愛らしいと思うのだ。
外からの見てくれに合わせて補正していくのではなく、日々の心地よさ、使いやすさ、便利さに従って、少しずつ少しずつ作られていく生活は、つぎはぎだらけの布のようにいびつかもしれない。
しかし、そうした細部の積み重ねが、等身大の心地いい暮らしを形作っていくのだろう。
それは、「自分をないがしろにしない」ということでもあるのだ。