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業界に足りないのは、園芸を楽しむこと。

僕は常々、園芸を生業に携わる人間は、私生活においても園芸を愉しむべきと考えている。
むしろ、そうしていかなければあらゆる「娯楽」が乱立するなかで、園芸の「娯楽的な楽しみ」に思いを馳せられなくなる。
その末に待ち受けるのが、いまもすでに斜陽産業と言われる僕らの業界の没落と伝統の逸失だ。

そんな今日、内田樹さんのブログに掲載されていた記事を読んだ。

時代には「政治的な季節」と「非政治的な季節」があり、現代は「非政治的な季節」に当たるのだと。
その理由は「生活」と「世界」とが密接に関係しているから…。

 現代日本人は政治をうるさく語るけれども、自分の個人の生き方が国の運命とリンクしているとは感じていない。
 アンドレ・ブルトンがどこかで「世界を変えようと思ったら、まず自分の生活を変えたまえ」というようなことを書いていた。世界と自分の日々の生活の間に相関があるという直感を持てなければ、人間は「革命」など目指しはしない、と。
 そう書いてから、ほんとうにブルトンがそんなことを言ったのかどうか気になって『引用辞典』というものを引いて調べてみた(そういう便利なものがこの世にはある)。実際はこうだった。
「『世界を変える』とマルクスは言った。『生活を変える』とランボーは言った。この二つのスローガンはわれわれにとっては一つのものだ。」

引用元:政治の季節 - 内田樹の研究室

さらには、

 だから、「政治の季節」の人々は次のように推論することになる。
1・自分のような人間はこの世に二人といない。 
2・この世に自分が果たすべき仕事、自分以外の誰によっても代替し得ないようなミッションがあるはずである。
3・自分がそのミッションを果たさなければ、世界はそれが「あるべき姿」とは違うものになる。
 こういう考え方をすることは決して悪いことではない。それは若者たちに自分の存在根拠についての確信を与えるし、成熟への強い動機づけを提供する。
 その逆を考えればわかる。
1・この世には私のような人間は掃いて捨てるほどいる。
2・私が果たさなければならないミッションなど存在しないし、私の到来を待望している人たちもいない。
3・だから、私が何をしようとしまいと、世界は少しも変わらない。
 このように推論する人のことを「非政治的な人」と私は呼ぶ。
 自分が何をしようとしまいと、世界は少しも変わらない。だから、私はやりたいことをやる。人を突き飛ばそうと、おしのけようと、傷つけようと、汚そうと、奪おうと、それによってシステム全体にはさしたる変化は起きない。そういうふうに考えることが「合理的」で「クール」で「知的だ」と思っている人のことを「非政治的」と私は呼ぶ。現代日本にはこういう人たちがマジョリティを占めている。だから、現代日本は「非政治的な季節」のうちにいると書いたのである。

引用元:政治の季節 - 内田樹の研究室

自らの生き方や行動が、実は少なからず周囲に影響を与えている。
けれども現代ではその実感に乏しく、他人のことを考える前に自分の利益や主張が先に立つ。
それを良しとされる時代である。
…と僕は読んだ。

試みに「世界」を「園芸」に読み替えてみよう。

いま、昭和以降に立ち上げられた園芸業界の遺産がことごとく失われようとしている。
農家の技術やひと、団体、それらに付随する文化など…。
時代の要請だから仕方があるまいと思う反面、戸惑うこともある。
園芸の遺産が消失する理由はまさしく、内田樹さんが述べたようなことにあると思う。

つまり、園芸業界を発展させ、成長させることはできたものの、変え続けることができなかった。

なぜなら、自分の周囲から「園芸的なもの」を遠ざけ、「園芸的なもの」に含有するあらゆる意味を見失かったから。
簡単にいえば、園芸で得られる楽しみを、園芸業界を動かす人たちが自ら手放してしまったのだ。
いや、もともとその手に掴んでもいなかったのかもしれない。

ただただ流行しているから。
なぜだかつくれば売れるから。
事業として莫大なカネを回すことができるから。
etc…。

内田樹さんの書くとおり「合理的」で「クール」で「知的」。
そんな園芸業界こそがカネを生み出すと…。
その結果、生産する側と消費する側の考えに、果てしなく高い壁が立ちはだかってしまった。
その壁は生産側のどんな施策も無為をなし、逆に消費者の声も届かない。
今の僕らはそんな壁の前で、ただただ呆然とたたずみ、ときに壁を崩そうと必死に試行錯誤を繰り返している。

そして僕は思う。
その壁には誰でも通り抜けられる扉があって、実はもう、当たり前のように行き来している人がいる。
いまもむかしも。
それは誰かと言えば、植物を愛し、自ら育て、楽しむひと。
どんな形であれ、得られた楽しみを他の誰かと分かち合い、広めることができるひと。
そんな人たちに園芸業界は支えられてきたのだと感じることが多々ある。
そしてまた、彼らがこれからの園芸を必然的にも担っていくのだと思う。
なぜなら、「園芸は娯楽」だから…。

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