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嵐山「Bhagavan」で聞く篠笛と「伝書」

嵐山に行くと、清凉寺の境内にあるカフェ「Bhagavan」で、よく一休みさせて頂いています。
昨日もBhagavanで甘味を頂きながら、志村ふくみ先生の著作「伝書」を読んでいました。
「音を織る」という章で、日本の楽曲と植物で染めた色との共通点について、ふくみ先生は次のように書かれています。

『琴、三味線、尺八、雅楽のさまざまな楽器が織りなす世界は、植物から染め出す色の音階、音符にもかきあらわせない半音のまたその半音とか小節ににじみ出る音の微妙さと、どこか似ているのである。』

志村ふくみ著「伝書」-音を織る

植物から染めた色は、黄色の中にも茶味や赤味が微妙に混ざっていて、決して単色ではないのです。そして、その微妙さを私は美しいと感じます。
嵐山で佐藤和哉さんの奏でる篠笛に出会い、なぜ心惹かれたのか、その答えを「伝書」の中に見つけたように思いました。

 なぜ草木染でなくては駄目なのか・・・
 なぜ篠笛でなくては駄目なのか・・・

『長く仕事をしてきて、一度もこの仕事を放り出したいと思ったことがなく、片時も仕事のことは離れず、やればやるほど興味が湧き、次々と新しい発見があった。それが自然との深いつながりだからだと気づいたのは大分経ってからだった。これは織の場合だけではなくあらゆる仕事の元はそこに在ると思う。』

志村ふくみ著「伝書」-織るという事-発想

本来、人は自然と一つのものであるのに、現代の生活の中ではそれを忘れがちです。でも、心の深い所では自然とのつながりを渇望しているから、ふとしたきっかけで、それを呼び覚まされるのではないでしょうか。
昨日は、篠笛奏者 佐藤和哉さんのお弟子さんである辻大貴さんがBhagavan で演奏をして、皆を楽しませてくれていました。

『自分のために始めたことがいつの間にか人のためにもなっていることが自然の仕事だと思う。』

志村ふくみ著「伝書」-織るという事-発想

自分のために始めたことを、他の人にも喜んでもらえるような、そんな仕事を私もしていきたいと思います。


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