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展覧会「走泥社再考 ‐ 前衛陶芸が生まれた時代」
前衛陶芸の黎明を見つめ直す「走泥社再考」
先日、東京・港区にある菊池寛実記念 智美術館の「走泥社再考 ‐ 前衛陶芸が生まれた時代」を拝見してきました。
戦後日本で誕生した前衛陶芸集団「走泥社」の活動を見つめ直す本展覧会、会場には走泥社同人の有名作品がたくさん並んでいました。
このなかで個人的に一番好きなのが、鈴木治による作品「馬」。
鈴木は走泥社発足から関わるキーメンバーの一人であり、特に馬をモチーフとした作品を複数生み出しました。
「馬」と題される作品がいくつかあるうち、わたしが今回観たのは1971年作、京都国立近代美術館蔵のもの。高さが81センチもあるので、大型の作品といってよいかもしれません。
「馬というより犬に見える」という話を、鈴木自身がしていたと書いてあったのを読んだ記憶があります。具体的に実在する馬をかたどったのではなく、「馬」のイメージを膨らませ、作家自身の内に宿った心象を、焼き締め陶という素材と向き合いながら創造された作品といえます。
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実は学生時代も同作品を見ていたので、この展示では「再会」したことになるわけですが、じっくり見ているうちにあることに気づいてしまいました。
尻もちをついた形での焼成?
この、おしりと脚の部分。
これ、おそらく、作品を焼成するときに支えをおいた跡ではないでしょうか……。
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えっ、ということは、馬よ、おまえ、尻もちをついたような格好で焼かれたってことなのか!?
静かな館内で声をあげるわけにもいかなかったので、わたしは心のなかでそう叫んでいました。
そう想定して見てみると、それを裏づけるように、脚と脚の間にも同じ跡が……。
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うわあああ! そうじゃん! 馬ぁ~~~!
しかもちゃんと見てみると、釉の流れが前半身から後ろ半身に向かって流れているように見える。絶対そうだわ、これ……。
「馬」との再会は、わたしにとってとんでもない発見をもたらしたのでした。
「ノイズ」がわたしだけの体験になる
……といっても、これで何がどうなるわけではないんです。
多分ですが、作品を焼く窯の大きさ的に、縦では入らないから、横長になるように置いて焼いたのだと思います。
わたしは陶芸をするわけではないからその技術が応用できるわけではないし、陶芸史的にもこれがどうしたというわけではないのだと思います。
ただ、自分とその作品が、「想定された見せ方」を越えて深く結びついた感じがしたのがうれしかったのです。
作家も学芸員も、この焼き跡を見せどころとしているわけではないでしょう。これはいわば、作品にとってのノイズかもしれない。でも、そこにわたしは尻もちスタイルで焼かれただろう馬の姿を見つけることができた。これは誰かに意図されたものではない、自分の体験になったのです。それがとてもうれしいできごととして残ったのでした。
よい展覧会に行くことができてよかったです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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