13. 父が除染作業に従事していた話~3.11から10年④
父が数年間除染作業に従事していたことを僕ら家族に告白したのは、病院の定期健診で甲状腺に異常が見つかったある日のことだった。再検査の結果、幸い甲状腺のそれはガンではなかったけれど、僕にとってフクシマとの距離が一気に縮まった出来事のひとつになった。
僕の父は、首都圏に本社がある大手ゼネコンの一次下請けに在籍していた。単身赴任だった。国家資格を持っていて、現橋やダムの現場を取り仕切っている。僕が父の仕事について知っていることは、その程度だった。
母は除染作業について黙っていたことを詫びて、心配をかけたくなかったと言った。その気持ちは分かるし、僕も取り立ててそのことを責めるつもりはなかった。父が話したのは、会社が除染事業を請け負ったということ、主に土壌の除染をしていたということだ。強制ではなかったが、立場的に関わらざるを得なかったこと。数年携わって、希望して現場を離れたということ。
どの地域に入っていたかを聞いて、僕は寒々しい気持ちになった。父は話のおわりに「とにかく大変だった」とだけ言って、それ以上は多くを語ろうとはしなかった。
詳細について緘口令が敷かれているのか、語りたくないほどの辛さだったのかはわからない。僕はジャーナリストじゃないので、今日までそれ以上聞き出すことはしていない。
母は、甲状腺の異常が放射能のせいだと真剣に考えている。当然、被ばく量の管理はしていたと父はいうけれど、どのくらいの線量がどの程度健康に影響するかという統計的なデータがない以上、因果関係がないとも言い切れない。喫煙者だから、放射能と発ガン物質の合わせ技かもしれなかった。
僕が伝えておきたいのは、普通の会社に勤めている人が仕事として除染に従事している現実を知ってほしいということだ。帰宅困難区域が解消されていく裏には、そういう人達の存在があることを心に留めておいてほしい。
ある日、テレビから汚染水処理のニュースが流れてきた。父が言った。
「ずいぶん増えたなあ」
空から撮られた、立ち並ぶ汚染水処理タンクの映像を見ていた。僕は父がかつて見ていた光景を思って、泣きそうになった。適当なところや気難しい部分もある父だけれど、初めて父の人生に敬意を抱いた。そして、生きていてくれて良かったと思った。