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08. 映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』~あの頃大学生だった人達へ

あさま山荘事件は、事件勃発後から犯人確保までがテレビ中継された「劇場型犯罪」の端緒である。銃撃戦、放水、鉄球。当世風に言えば「テレビ映え」する連合赤軍と機動隊の衝突を、9日間にわたって日本人のほとんどが昼夜みつめていた。

この時代の若者が「熱狂した」学生運動が何であったのかは、様々な著作や映像作品で語られている。そのひとつが、映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(監督:若松孝二)だ。

若松孝二という人間の視線は、現実を限りなく現実的に切り取る。本作品でそれが如何なく発揮されているのが「山岳ベース事件」の描写だ。映像の力は、事件当事者たちがその著作において語ってきたリンチの様相が「ただの文字の羅列だった」ことを突き付ける。

現在Amazonプライムで視聴可能ということもあって、様々な人がレビューを残している。残酷な描写に嫌悪感が募り見るのをやめた人もいるし、反対に人物描写が薄っぺらいと注文をつける人もいる。けれども、僕自身はこの作品の「演劇としての完成度」はこの作品の評価に何の影響もないと思っている。この事件を映像化したこと。それ自体が評価されるべきだからだ。

連合赤軍や同時代の学生運動について語っている人の多くは、当時から活動に対し実名で関わっていた意識的な人物たちだ。若松監督自身も、1971年に『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』でパレスチナに飛んだ重信房子に取材している。しかし当時街頭に出ていたはずの大勢の無名学生たちは、自分たちが掲げた革命の本質が何であったのか、機動隊への投石の先に何を求めていたのかについて「総括」しなかった。連合赤軍という「狂気の集団」に全てをおっ被せて「フタ」をしたのである。そして、自分たちが社会的な地位を占めるに至って「フタをする」ことを社会全体に求めていった。こうして、連合赤軍事件やあさま山荘事件は、公権力から見た「反抗」という構図でのみ語られるようになっていく。

そんな潮流に抗ったこの作品は、若者側の視点で事件を描いたことであり、彼らが「なぜあさま山荘に至ったか」を丁寧に描いていることにこそ価値がある。それは事件の凄惨さばかりを取りあげて「狂気の集団の仕業」と決めつけてしまうことは、彼らを突き動かしたものや山中で死んでいった彼らの命が何のために失われたのかを本質的に理解する事にはならないんだぞ、という製作者の強いメッセージだ。そして、同時代を生きたはずの大人たちに対して「フタをし続けてきた」ことを総括せよ、という警鐘でもある。

軽井沢の長くて短い冬を経て、政治や社会構造に異議を唱えて行動する若者を危険視する空気が一瞬にして醸成された。政治に無関心でいる若者像を強要した社会は、数十年を経てその無関心さが原因となって緩やかな崩壊を始めている。大抵の若者は、外務大臣や防衛大臣が”どこの誰”であるかに興味はないし、社会に出て政治の在り方が自分たちの暮らしに直結していると気づく人でも、自分たちの手で閉塞した現実を変えようと真剣に考えることはなくなった。

総体としての日本がどうあるべきか。僕らはその判断材料を大人達から教えられることなく、大人たちは僕らに教えることのできないまま、自分の手が届く範囲の世界の幸福だけを追求する社会を作り上げてきた。

今の社会は、あの頃の大人たちが、若者から国のかたちを考えることを奪った結果なのだ。そして、抗うことをやめその社会の形を守ることに徹した無名の学生たちの因果でもある。

あの冬に、国の在り方を真剣に憂いた若者の思いを少しでも理解しようと努力できる社会であったならば、人々はバブルに浮かれることなく、そして20年を失わずに済んだのではないだろうか。


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