01. 旭川市 第一市場 "ハレ"としての正月
旭川市 第一市場(大正7(1918)年築)
戦後のバラックを彷彿とさせるツギハギに、盛期のエネルギーが凝縮されている。塗炭屋根の錆が風雪に耐えた期間を強烈に主張している。
昭和路肩にカローラを停めて、母親と子供が降りる。駐車場などないから、父親は車番のため居残りである。銀座通り側から市場に入ると、正月の買い出しで中はあふれんばかりの人混みだ。目指す餅屋は市場の中ほどにある、母の背は見失ったが店の位置はわかっている。人波を漕いでなんとかたどり着いたが、周囲を見回しても母の姿が見えない。店先でしばらく待っていると、包みを片手に持った母が現れた。聞けば、途中の店で筋子を買っていたという。「この店はモノが良いからね」と満足そうだ。餅屋では、豆餅を買う。この店の豆餅を食べるのが正月の決まりだからだ。店の人から餅を受け取って、蜂谷側の出口から外に出る。様々な土地の名前が書かれた木箱がうずたかく積まれているのを横目に、急ぎ足で車に戻る。退屈そうに車の横で煙草を吹かしていた父がひょいと手を挙げて合図する。家への帰路、両親に尋ねる。「家の近くにスーパーがあるのに、どうしてここに買い出しに来るのか」と。返ってきた答えは「昔からここで買っているから」だった。母は産まれてから結婚するまで市場の近くで暮らしていた。市場には友達の両親が営んでいる店もある、売っている人の顔が分かるし、扱うものに間違いがないと知っているからわざわざ買いに行くと言う。ふうん、と返して会話は終わった。
正月に市場に行くのは好きだ。人混みは厄介だが、お正月の活気に満ちていて自然と元気になり、ワクワクした気持ちになるからだ。氷の上に並んだ皿には所狭しといろいろな魚が置かれていて、男の人が威勢の良い声で「らっしゃい、らっしゃい」と叫んでいる。軒先からザルがぶら下がっていて、そこから釣銭用の札がはみ出したりしている。値切る女性に根負けする男の店員がいれば、ついでに別の物も買わせようと口上手く口説く店員がいる。買う方も売る方も、やいのやいのと祭り気性だ。”正月にしか見られない非日常”は子供心にとても魅力的だった。
数年後、正月の買い出しは郊外のスーパーに行くようになった。母曰く、買い物が一度に済んで便利だし安いから、だという。いつしか豆餅も食べなくなり、第一市場に行くこともなくなった。それでも、楽しかった正月の思い出を聞かれたら、今でも迷うことなく第一市場に行った日々だと答える。あの日々には、今の社会が失ったものすべてがあった。