07. 3分で振り返る85年目の『2.26事件』~消された理想、すり替えられた正義
「政治に近よるべからず。そこでは誠意が裏切られ、理想主義が利用され、役にたたなくなれば昨日の忠誠が今日の謀反とされるだろう。」
(『羊の歌』加藤周一、1968年、岩波新書)
2.26が戦前日本の重要な転換点だと多くの人が指摘するのにはいくつかの理由がある。ひとつは、統制派の中心人物たちが太平洋戦争開戦に深く関わった点。もうひとつは、テロルを恐れるあまり、内閣が陸軍の機嫌を取るようになった点。そして、軍部大臣現役武官制を復活させ軍部の政治介入を許した点である。
注意したいのは、これらは後世から省みて戦争原因を追求した場合に得られる視点であるということだ。
あの事件と同時代に生きていた人々が「どちらの立場であったとしても」事件当時、その端緒と結末に接して瞬間的に感じたのは、正しい理想主義の無力さと、政治の非常なまでの冷たさではなかっただろうか。
国を良くしたいという想いこそが政治の出発点であるならば、青年将校たちの蹶起意図は決して的はずれではなかった。彼らは、国民困窮の原因を政治中枢に見いだし、これを倒すことで人々を救うという、広く民衆に訴え得る理想を掲げていた。蹶起軍の訴えを聞いた帝都のひとびとの中には、閉塞した現状を変え得る光を彼らに感じていた人もあっただろう。
対して、観念的な理想だけでは陸軍は存続できないというのが統制派の考えだった。現実的で官僚的な彼らは、軍の維持には予算が必要であり、予算を得るためには仮想敵国が必要であるということを冷静に理解していた。満州の権益、それを脅かすロシアの存在。そういった「外敵」に対峙できる強力な軍隊を作ることこそが、彼らの目指す軍の理想であり、引いてはそれが国体の安定に繋がると考えていた。
軍の内部抗争という構図を無視したとき、どちらの理想が多数の「正義」であるかは自明である。蹶起が失敗した後も、青年将校たちは法廷闘争で自分達の正義が「正しく処せられる」と信じていた。
しかし、すでに政治機構の一部となっていた軍の主導権を握った統制派にとって、理想が正しいか否かは「どうでも良かった」。事件を軍の内部抗争に”とどめて”、自分達を「反乱軍」を鎮圧した「正義側の軍人」としていかに演出しつづけていくか。その作業に綻びが生まれないことだけが重要であったのである。
青年将校たちは、陸軍軍法会議において陸軍の法によって裁かれ、陸軍の手によって銃殺された。彼らの想いや理想が、当時広く一般に知られることはなかった。
2.26以後、人々は沈黙する。政党人や社会主義者は当局の圧に屈した。民衆もまた、全体主義の巨大な波に飲み込まれた。そして、軍人は戦争に邁進した。
自分達が正しいと信じることが届かない社会であるという一種のあきらめが国を支配したのである。そして、そのあきらめが人々から戦争に抗う力を奪っていった。その結末がどうなったのはか、歴史が証明している。
これまで2.26を遠い昔に起こった別の国の出来事のように思っていたのなら、国際ニュースに触れてみて欲しい。他国では、理想を武器に託した人々が巨大な体制や政治といまも戦っている。もちろんテロルは明確に否定されるべき手段だ。しかし、そうまでして実現したい理想とは一体なんなのか。若者が政治に注文をつけることを封じて久しい現代の日本人がその問いに答えられるはずもなく、だからこそ今日まで2.26事件が人々の耳目を集め、語り続けられているのだろう。