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ヘンテコ洋風建築『古城』の解けない謎
前回に引き続き、大正時代に造られたヘンテコ洋風建築・古城について、未だに謎な部分や補足を記して参ります。
解けない謎部分
パラペットの不可解な形状
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塔の屋上、縁部分(パラペット)。昇ったとしたら手摺にもなる部分かな。
不均等にガタガタしてますよね。これが不可解。
お絵描きアプリの四角い消しゴムでシャーッとやったような。
どうしてこんな仕上げなの?
古城は廃墟の設定なので
「昔はもっと高い塔だったけれど、上部が崩れ落ちてこんなガタガタになってしまった」
というストーリーでわざとガタガタにしたのかしら?…とも考えましたが、それにしては仕上げが雑ではありませんか戸野さん!
この記事を公開前共有していた段階で、一般社団法人 日本建築学会関東支部 建築歴史・意匠専門委員会 様による『としまえん木馬の会事務所建物(旧「古城の食堂」)についての見解』という文書を知ることとなり、「1.建築の概要」に「塔の頂部が不規則な凹凸で象られているのは、廃墟を印象づける工夫と見られる。」という一文を発見。
「おおお、プロの方もそう見るんだ!」と嬉しくなりました!
とはいえ「仕上げが雑ではありませんか戸野さん!」という気持ちに変わりはありませんよ戸野さん!(笑)
元ネタがわからない装飾
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塔部・北側の装飾。こちらもまた特徴的な意匠。
何か元ネタがあるのでは…?と探してみたのですが今のところ不明です。
どなたかこの形状にお心当たりありませんか?
仮説を裏付ける
正直申しまして前回の記事は、憶測・推測・妄想・邪推による個人的な仮説に過ぎません。
戸野琢磨氏亡き今もはや答え合わせもできませんが、仮説の根拠をちらっとご紹介いたします。
大正15年築説
練馬区立石神井公園ふるさと文化館で開催されていた企画展「思い出のとしまえん」リーフレットにも掲載されている、大正15年開業当時の『練馬城址豊島園全景』という鳥瞰図には既に古城が描かれていること、また、戸野琢磨 著『庭園の計画と設計』に掲載されている豊島園の平面図は鈴木誠 氏の論文『日本の“ランドスケープ・アーキテクト”第1号』によると1924年(大正13年)のものらしいですが、そこには噴水の東南側に古城と思われる建物が記され既に古城の構想があったということから、古城は大正15年の開業時から存在したことはほぼ間違いなさそうです。
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豊島園平面図
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豊島園平面図を拡大 古城らしきものがある
豊島園=気軽に異国の雰囲気を楽しめる場所説
戸野琢磨氏が豊島園の造園を担当したとき、どのような想いを込めていたのかがわかる一文があります。
活動写真に見る庭園は其物語に伴って意味がある。然し自分を其の主人公に代らせて其庭園に散策させても、実際見ない迄は殆んど其気持ちが解らない。其んな意味に於て、実物背景を遊園地に造り、其内に種々な人をして遊ばしめることは各々其人の環境に依って与えられる感じは違っても、何か有意味であれば結構である。
私は
「活動写真に見る庭園は其物語に伴って意味がある。然し自分を其の主人公に代らせて其庭園に散策させても、実際見ない迄は殆んど其気持ちが解らない。」
という部分を
映画に出てくる風景がもしその物語にとって重要なアイテムだったなら、その風景が実際どんなもんだか知らないことには、自分がその主人公の気持ちにリアルになりきることが難しい。
と解釈しました。
これは「活動写真だけでは見聞が狭い」という意味ではなく、「映画を観たときに、より主人公の気持ちになりきって欲しい」という思い、ひいては「活動写真をより楽しめるようになって欲しい」という願いがあったのではないかと思います。
そこで「実物背景を遊園地に造り」…これが、古城や噴水に滝、音楽堂のことかと。
戸野氏は「それらでもって、感じ方は人それぞれであっても何か心に残ってくれたら結構結構♪」(←超意訳)という想いで豊島園を造ったことから、前回の記事で述べました↓
「今ほど簡単には海外に行けなかった時代の庶民でも、気軽に異国の雰囲気を楽しめる場所」を目指し、海外を見てきた戸野氏が、自分が見知ったものを再現して楽しんでもらおうとしたのでは?
という仮説もまぁ的外れではないと思いますが、いかがでしょうか。
97年の時を超えて
大正13年頃から戸野琢磨氏があれこれ色々な想いとアイデアを込めて造ったであろう古城たち。
それから97年後の未来となりました。
令和まで生き残ってくれた古城を通し、戸野氏の志と昭和初期の人々の暮らしに想いを馳せておりますよ。
各々其人の環境に依って与えられる感じは違っても、何か有意味であれば結構である。
戸野氏、「結構結構♪」って思ってくれるかな。
資料提供・情報協力:岡田英昭 様
※ 記事中、“遊園地の設計と施設”からの引用文は、旧字体・旧仮名遣いを新字体・現代仮名遣い及び平仮名にしてあります。