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もっとゆるめていこう… #1年後の私へ

Twitter担当のbosyuさんです。
『”毎日”を1000回積み重ねたら、人はこんなに変わるのか』

ここ数年を振り返って、自分のことながら一番驚いたのは私です。そもそも3年前の私は、Twitterを仕事にするなんて、1ミリも思っていませんでした。

ということは、今私の周りのほとんどを占める、Twitterやbosyuを通して出会った全ての友人・知人は、誰ひとり知らなかったということ。

そういえば旦那さんとも出会っていないし…そう考えると、今の生活の9割くらいは「3年前に想像できなかった展開の集まり」ということになります。

「毎日」を約1000日積み重ねたら

昨日の自分と、今日の自分は何一つ変わっていないように思えませんか?毎朝計る体重だって、ほぼ変わりません。

でも、そんな何気ない「毎日」を3年間で約1000日積み重ねると、どうやら9割の生活が変わってしまうことがあるようなのです。

私の場合、結婚というおそらく人生で1回のイベントがあったのは、特別なタイミングでした。でも、結婚をのぞいても、3年前の私が「今日の私」をみたら『パラレルワールドに移動した…』と思うレベルでたくさんのことが変化した3年でした。

がんばる自分にしか価値を見出せなかった

その昔、仕事をがんばりすぎて、こころも体もへとへとのしなしなになっていた頃がありました。

今思うと、当時の私はとにかく自信がなく「がんばり続けること」にしか自分の価値を見出すことができませんでした。

学生時代から通知表はだいたい3で特に得意もなかった私ですが、社会人になって、とりえがなくても「当たり前のことを当たり前にやる」という役割で、自分の居場所は見つかるんだと気付きました。

なので、自然とプロデューサーとか志あるリーダータイプの人の元で働き、サポート役にまわる仕事をいつもしていました。

その結果、やりがいを見出して楽しく働いているものの「普通のことしかできないんだから、がんばれなくなったら終わり…」という感覚に陥ってしまい、しがみつくように働いてしまいました。

さらに、自分で思っていたより体が強かったのもあり、寝る時間以外働くような生活を続けても、健康診断はいつもオールA。調子を崩し始めていると気づけず、ヤバイと自覚した時にはそれはそれははげしく疲れが溜まっていたのです。

この3年での変化

そんなことを経て、人生の転機になったと思われる3年くらい前から、自分にとっての「心地よい生き方」みたいなもの探すようになりました。

そうするうちに、上に書いた「がんばりすぎる」思考のクセみたいなものに気づいたりして、少しづつ自分をゆるめるように意識していきました。

考えすぎてるかもと思ったら一度立ち止まってみる、とか。そういう小さなことですが、「一緒に働く相手がどう思うか?」でなく、自分はどう感じているかに目を向ける機会を増やしていきました。

それまで猛烈に働いていたのをやめて、ペースを落としてみたり、そんなことを繰り返しているうちに、少しづつ自分の心地よいと思う瞬間が毎日に増えるようになりました。

私の夢の叶い方

話がちょっと変わります。

テレビや雑誌でよく、夢は口にした方が叶うと聞きますよね。実際、身近な友人でも数年前に飲みの場で語っていた夢を実現させている人もいます。Twitterでも、あえて夢や目標を公言している方をよく見かけます。

だけど、私の場合、夢の叶い方がちょっと違って。

「こんな自分になりたい!」と口にし、野心を持って行動している時より、深く考えず"成り行き任せ"でいた方がうまくいく傾向があるんです。

ふしぎなんですが、無意識に近いくらい、うっすら心の中でふんわり思っていたことが気づくと実現していたりします。

逆に、夢を口にすると力んでしまうのか、うまくいかないことがほとんどです。これは偶然なのか、私は口にしないほうがうまくいくタイプ(?)なのか、わからないけど、たしかに私の人生は9割そんな感じで。

1年後の私へ…

こうして振り返ると、「髪の毛を振り乱して働いていた頃より、余裕をもって過ごしている時の方がよいことが起こりやすい傾向にある」と、自分の人生をまとめることができます。

でも、過去を否定している訳ではなくて。
本当にあの頃の私は、よく働いた…今はそんなにがんばれないので、むしろ尊敬レベルです。

だって、いまだにあの頃一緒にがんばった人とは特別な信頼関係があるし、こうしてnoteのネタとして掘り出すくらいには人生のトピックです。当時の経験がなければ、今こうして肩の力を抜いてもいいんだと気づくこともできなかったと思います。

過去の自分ナイスと思うのは、常に未来の自分を信じていたこと。今この瞬間つらくても、未来はどうにかなるっしょ、と根拠もなく前を向ける性格にいつも救われてきました。

だから、このnoteを書いている2020年11月30日の22時の私も、2021年の今時期の私がこれまた根拠もなく楽しみでたまりません。

まだまだ無意識に力んでいることもあるので、そんな時はこころをゆるめて。ゆっくりお風呂につかって早めに寝たりして…自分のことを大事にする時間をとってほしい、というのが今日の私からのお願いです。

1年後、もっとゆるんだ私は、人生のパターン的にはきっとハッピーなはず。でも、例え今と何も変わっていなくても全然OKで。

変わることに価値があるというより、いろいろあってたどり着いた"今"に幸せを感じられる感覚を大切にしていきたい、と思うのです。

だから、このnoteを読む1年後の私に向かって、丁寧に毎日を重ねていきたいと思います。

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