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【音楽】大好きな音楽の思い出④ ラジオスターの悲劇

⚫️腰抜かすほどの天才が現れた

バグルス(The Buggles)が登場して歴史は変わった、
天才が現れラジオスターの悲劇は名曲となり
Yesは救われ
ASIAが生まれた

⚫️【歴史的名曲】Video Killed The Radio Star

バグルス(The Buggles)は、1979年の「ラジオスターの悲劇(Video Killed the Radio Star)」のリリースと共に登場し、音楽界に大きな衝撃を与えました。テクノロジーが音楽の在り方を変えるという予言的なメッセージを持つこの曲は、MTV開局時に初めて放送されたミュージックビデオとしても歴史的に重要です。

この瞬間、音楽と映像の融合が新しいエンターテイメントの形を生み出し、視覚的なインパクトが音楽の人気に与える影響が大きく変わりました。

バグルスは、トレヴァー・ホーンとジェフ・ダウンズという天才的な音楽家のユニットです。
ホーンはその後、プロデューサーとして音楽業界をリードし、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドやABC、シールといったアーティストのプロデュースを手掛けました。
その革新的な音楽制作技術は、単なる演奏に留まらず、音の質や構成にまで精巧な変革をもたらし、ポップやロックのサウンドを進化させました。

バグルスの成功は一時的なものでしたが、トレヴァー・ホーンとジェフ・ダウンズが次に挑んだのは、イギリスのプログレッシブ・ロックバンド「Yes」への加入です。
Yesはその時点で名実ともにプログレッシブ・ロック界の頂点に立っていましたが、方向性に迷いを抱えていました。バグルスの二人がYesに参加したことで、バンドは『ドラマ(Drama)』(1980年)というアルバムをリリースし、新たな息吹を取り戻します。このアルバムはYesにとって新たな挑戦であり、特にホーンのボーカルとダウンズのキーボードが、従来のYesサウンドにエレクトロニックなエッセンスを加えたことで、新鮮さを取り戻しました。Yesはバグルスの加入により一時的に新しい道を切り開きましたが、ホーンとダウンズはその後、再び自分たちの音楽活動に戻ることになります。

このYesの経験を経て、ジェフ・ダウンズは、さらに革新的な音楽グループ「Asia」を結成します。
Asiaは、プログレッシブ・ロックの影響を受けつつも、より商業的でメロディアスなサウンドを追求するスーパーバンドとして誕生しました。

エイジアの初期メンバーには、Yesのギタリストであるスティーヴ・ハウや、キング・クリムゾンのジョン・ウェットン、エマーソン・レイク・アンド・パーマーのドラマーであるカール・パーマーが参加しており、プログレッシブ・ロックの系譜を継ぐ超豪華な顔ぶれとなりました。

Asiaのデビューアルバムは商業的な成功を収め、シングル「Heat of the Moment」は世界中でヒットしました。この曲はプログレッシブ・ロックの複雑さよりも、メロディーとリズムの魅力に重きを置いたため、多くのリスナーに親しまれました。

バグルスが起こした音楽の革新は、単なる一曲のヒットに留まらず、メンバーのそれぞれが異なるプロジェクトを通じて音楽界に変革をもたらす結果となりました。
トレヴァー・ホーンはプロデューサーとして時代のサウンドをリードし、ジェフ・ダウンズはAsiaを通じてプログレッシブ・ロックの新たな形を探求しました。

「ラジオスターの悲劇」という曲は、アナログからデジタルへの転換(DXやね)を象徴するものであり、音楽業界における技術革新の可能性を示した作品でもあります。

バグルスの登場とその後のメンバーの活動は、音楽が常に進化し、技術と共に新たな形へと発展していくことを象徴しているのです。

バグルスが音楽史に与えた影響は、彼らの音楽だけでなく、視覚やテクノロジー、さらにはビジネス戦略の変革までをも含んでいます。

MTVの第一弾のビデオとして放送された「ラジオスターの悲劇」は、音楽にビジュアルがいかに重要かを業界に強く示しました。それまで「聞く」ものであった音楽が、「見る」エンターテイメントとして進化した瞬間です。

このエッセイを締めくくるにあたり、バグルスの革新性は音楽史において新しい扉を開けたと断言できるでしょう。
その扉の向こうには、テクノロジーと創造性が交わる無限の可能性が広がっているのです。






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