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ジャン・ポール・ベルモント氏死去

フランスの映画俳優ジャン・ポール・ベルモント氏が先日亡くなった。

ご冥福をお祈りします。

なんとなくフィルモグラフィーを眺めていたが、意外と出演作品を観ていないことに気がついた。フランス映画はけっこう観たはずなのだが。

印象に残っているのはアラン・ドロンと共演した『ボルサリーノ』くらいだろうか。

『パリは燃えているか』にも出演しているようだ。どこにいたのか全く記憶にない。

ベルモント氏の代表作は、ジャン・リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』と『気狂いピエロ』であり、もちろん観ているのだがクソおもんなかったという印象しかない。

ゴダールの映画はかなり観ているが、どれも全く面白いと思えなかった。超長編『映画史』は京都駅らへんの劇場で鑑賞したが、ほとんど寝ていた。

それもそのはず、私がゴダール作品を観ていたのは2000年頃で、『勝手にしやがれ』などは、公開されてから40年もたっていたのである。ヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)と言われる作品群だが、どこがヌーヴェルやねんと当時ですら思ったものである。今ならなおさらだろう。そして、次世代シーケンサーはいつまで次世代と言われ続けるのだろうか、などということに思いをいたすのであった。卓球でもYoung Generationサービス、通称YGサーブというのがあるが、そのサービスを使い出した世代はもちろん全員引退しているのに、未だにYGサーブといわれている。

ヌーヴェルヴァーグと呼ばれる人たちの作品はまあまあ観たが、面白いと思えたのは、ルイマ・マル『さよなら子供たち』とエリック・ロメール『緑の光線』くらいだ。そうした数少ない例外を除けば、どう考えても一世代前のルネ・クレマンのほうがおもろいやろって思ってた。

公開当時に観た人たちにとっては新しくて、かっこよかったのだろう。それを感じるセンスを、私は20歳前半でも持ち合わせていなかった。

そういう感受性は社会からどんどん失われていき、公開当時は新しかった作品も、古典とか教養になってしまう。

もちろん価値が失われるわけではない。それらの功績をもとに、面白い作品が作られ続けるのであれば価値は増していくだろう。

というようなことは、昨日の記事でも書いたな。

日本がワールドカップに初めて出る前のころの時代の空気は、歴史になってしまうだろう、という話であった。


今この瞬間がどんなに素晴らしくても、いずれは過去になってしまう。『ブレードランナー』でルトガー・ハウアーが言ったように、全ての記憶は雨の中の涙のように消えていく。

それでは全てが虚しいかというと、そんなことはないだろう、未来を信じることができるなら。


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