令和4年7月おしまい

今月もあっという間におしまいだ。なかなかイベントフルな1ヶ月だった。

参議院選挙とあの事件については言及せざるをえなかった。

大きな物語が終わったという感慨を抱かざるをえなかった。

参議院選挙が終わると、年に1度のお祭りであるAmazon Prime Dayだった。例の事件による喪失感をいくらか埋め合わせることができた。


そういえば昨日の白饅頭さんの日記で、言論の力をもういちど取り返そうという趣旨のことが書かれていた。

力強い文章だったが、それでも私自身は諦めてしまいつつある。

白饅頭さんがたびたび指摘しているように、やっぱり言葉とか論理って弱者の武器でしかない。
例えばつい最近話題になったサスペンスドラマのツイートの人とか、あんなめちゃくちゃな思考でも意見を通せるのが権力性である。その権力の前では、言葉も論理もあまりにも無力だ。

また年を取ったせいか、生まれて老いて朽ちていくという人類が何回も繰り返してるサイクルが私自身においても発生しただけだ、という虚無感が強くなってきた。このサイクルの中では私ごときの言葉や論理にたいした意義があるとは思われない。

しかしまだまだ人生は続くようなので、こうした虚無感や孤独感の正体を知りたいという欲求もある。

夏目漱石の『こころ』は明治期のエリートたちの孤独感や虚無感を描いている。石原千秋氏によれば、その孤独感によって、先生やKは大人になれなかった。

大人になるとは他者と対峙することだ。しかしそれはとても疲れる。

今月ついに村上春樹の長編を初めて読んだのだが、そこには他者がいなかった。だから読んでいて疲れないのだ。登場人物がたくさん自決する小説なのに、なんだか癒やされてしまった。

というわけで、来月からは文学作品に触れる時間を増やそうと思ったのであった。

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