バイオ研究のお金を減らされるのは悲しいけど
「(政府の支援を)いきなりゼロにするのが本当なら相当理不尽だ」。11日、日本記者クラブ(東京・千代田)の記者会見で、山中所長は憤りをみせた。ストック事業への政府の支援を2020年度から減らす話が現実的になってきたからだ。
この事業は再生医療に使う高品質なiPS細胞をあらかじめ備蓄する。拒絶反応が減るように多くの日本人に適したタイプの細胞を取りそろえる計画だ。13年に22年度までの10年間の国の支援が決まり、京大iPS研が運用することになった。
政府はこれまでストック事業に年約10億円を支援してきた。10年間の予算が切れる23年度以降の予算確保が注目されていたが、いきなりはしごを外された格好だ。
数日前からバズってるこの話題であるが、科学研究に限らず、政府にこんなふうにはしご外されるなら長期計画なんてたてられるわけがない。こういうことでここ20年ほど産業が縮小してきたのが土木建築業であり、近年になって自然災害の頻発でそのことのまずさが実感されているというわけである。
あらゆる分野で政府支出が削られている中、科学研究だけが予算を増やしてもらえるなどという都合の良いことがあるわけないのは知っている。消費税やら社会保険料の増大で低所得者が苦しい生活を強いられているのに(若手研究者もそういう人々だが)、バイオ研究だけ潤沢に資金があるのはおかしいという批判もあっておかしくない。そもそもこういった基礎研究が目に見える成果につながることはあんまりないしな。
そう、研究なんてほとんどが無駄に終わるのだ。iPSが再生医療として日の目をみるのは何十年先かわからないし、別の画期的な研究にとってかわられる可能性もある。基礎研究とはそういったもので、多くの無駄からわずかな有意義なものが生まれるのである。ノーベル賞級の研究が脚光を浴びるのは、その他大勢の無駄な研究があってこそだ。後者のことなんて誰も気にしないとしても。
だから無駄使いするな、有用なものだけに投資せよというのは勘違いも甚だしいのである。無駄なものとそうでないものを見分けられるという発想が傲慢そのものだ。無駄かもしれなくても政府は支出しないといけない。民間企業はそんな先行き不透明なものに投資はできないからだ。これは左派加速主義においても重要な論点で、政府の投資がテクノロジーを加速させるのである。
MMTであるとか、内生的貨幣供給論とか、機能的財政論とかは、政府に貨幣的な予算制約がないから、実物的な制約にぶち当たるまでは支出を増やせるというものである。これを理解すると、少なくとも現在の日本では、科学研究にお金を出せないなんてのはちゃんちゃらおかしいとわかる。逆にいまケチることによって実物的な制約に直面する可能性を高めているともいえる。
といってもそんな理屈をみなが理解する日は私が生きている間には来そうもない。緩やかに衰退していくのを見つめることになるのだろう。悲観論が好きなわけではないけどね、まあしかたない。