千葉雅也『勉強の哲学』再読
千葉雅也さんのこの本を読むのは3度目かな。
これがいいのは勉強するとノリが悪くなるし、キモくなると明言していること。勉強したってそんなにいいことはないのだ。
ここでいう勉強とは、単に知識やスキルを身につけることではない。自分の認識のあり方を問い直すようなラディカルな学習である。そうすると今まで環境に合わせてノッていたものが、そうはできなくなる。なんなら発話することすら困難になるだろう。
しかし千葉さんは、そこから勉強を重ねることで一周回ってまたノレルようになるという。これが副題の「来るべきバカ」である。
言いたいことはなんとなくわかるが、この「来るべきバカ」がどういうものか、どうしたらそうなれるのかはわからなかった。まだまだ勉強が足りないのだろう。
少し内容について述べると、勉強の方向性として2つのモードが挙げられている。
1つは、ツッコミ=アイロニーである。それってどういうことなの?と深く、あるいはメタに掘り下げていくことである。すぐわかるようにこれにはキリがない。
もう1つは、ボケ=ユーモアで、これは横方向に連想を広げていくモードである。これまた果てしなく、無秩序に連想は広がっていくから終わりがない。
これらをどこかで切断しないと現実の生活には戻れない。どこかで仮の結論を出すしかない。この仮固定のポイントは「享楽的こだわり」になりがちだ。それは今までの人生経験上どうしても譲れないポイントである。理屈抜きのこだわりだったり、好みだったりするだろう。
これは致し方ないことではあるが、無根拠な決断主義に陥る危険性がある。いったん仮の結論を出すにしても、色々な考え方を比較し続けることが重要なのだと指摘する。そこが勉強前のバカと、来るべきバカの違いってことなのだろう。
そうなんだろうけど具体的にどういうことなのかはわからなかった。今やってる勉強を続けていれば、またノリが良くなるのだろうか。知れば知るほど沈黙するしかないという情況を抜け出せるのだろうか。
また読み直さないといけなんだろうな。