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【No No Girls 考察②】3人へのフィードバックを分析

最終回(#16)がHulu版でも公開され、前日のリハが、最終審査当日と違っていたことがわかりました。

Drop AチームのKOHARUの煽り大爆発のラスサビも、リハでは割と抑えめ且つ本番での歌唱と違い歌詞カード通りで、CHIKAのソロのラストの切り上がりも前日まではかなり短めだったし、双方本番に最高値を発揮したのだと感動しました。

またKOHARUのソロは、帽子を取るタイミングが前日リハまで違っていたということで、練習しまくったパフォーマンスの中に美しく帽子を捨てる仕草があったわけではなく、前日から当日までの間に入れ込まれたのだと思うと感心するばかりです。

有料の配信ライブも拝聴しました。
選ばれなかった3人へのフィードバックの時間は、実際にはライブ後だったこと。エンディングで流れたGoodは、実際はちゃんみながライブで3人のために歌唱披露した(と私は思ってる)こと。
いろんなことが知れた最高の4時間半でした。
2/9までは死ぬほど見返します。

今日は3人へのちゃんみなのフィードバックについて分析したいと思う。

ちゃんみなのガールズグループ

HANAのメンバーが決定した後、推しの落選に納得していない人なのか、ただのアンチかは不明だが「実力がないのに外見で残されたメンバーがいる」という主旨のコメントがちらほら散見された。

そこにはほんとのほんとに、ふざけんなと言いたい。

ガールズグループのプロデュース。
既存の概念であれば外見こそが重要だろう。ガールズグループ=アイドルという認識を持つ人も少なくない。

でもプロデューサーは他の誰でもないちゃんみななのだ。
誰よりもルッキズムと戦ってきた。その象徴が【美人】だし、今回のテーマ曲【NG】である。
ちゃんみなが作りたいのが外見重視のアイドルグループなわけがないのだ。「外見で残した」という意見は甚だ頓珍漢という他ない。

とはいえ、頓珍漢な意見などちゃんみなは気にも留めないだろう。

ちゃんみながプロデュースするのは、ボーダーレスでジャンルレスな全く新しいガールズグループである。

HANA

ちゃんみなは最終審査まで決めていなかったと言った。Hulu版(#15)ではちゃんみなの深い惑いを目にすることもできる。

とはいえ、CHIKANAOKOは歌とダンス共に誰の目にも疑いようのない実力を持っているので、そもそもほぼメンバー入りを確実なものとしていただろう。逆にCHIKAやNAOKOが見送られるようなことがあれば、No No Girlsへの信頼が根底から覆ってしまうほどの存在、謂わばまさに主人公だったと思う。

JISOOも殆ど構想にあったというのが個人的見解である。ちゃんみながその唯一無二の声に惚れ込んでいる様子は見てとれた。
JISOOは他のメンバーと比較すると素人目にもダンスが少し粗いシーンは目立っていたが、そもそも「今のガールズグループはダンスを重視しすぎている」とちゃんみなは言っていた。つまりプロデューサーであるちゃんみながダンスより声を重視していたのは明らかになっている。

残り4枠。
実質的には7人が当落線上にいたというのが推測だ。

4番目に名前を呼ばれたYURI
ソロパフォーマンスは、ノノガを追いかけてきた多くの人の心を揺さぶったと思う。初めて会った時からカリスマ性を見出していたYURIに、ちゃんみなが求めていたのは歌唱力でもダンスでもなく、心を開くことだった。ちゃんみなは、YURIが心を開けば表情が変わると分かっていた。だから何度も表情を指摘し続けた。
THE FINALではYURIが大オープンにしてくれたその心に反応し、我々の心もまた揺さぶられた気がしている。
仲間を心から信頼し、ファンを心から味方だと感じている姿が印象的だった。

5番目に名前を呼ばれたMOMOKA
MOMOKAもまたJISOOのように、ちゃんみなは声に惚れ込んでいたと思う。2次審査ピッチを外していた姿は、今はもう殆どない。何人グループだろうと、耳だけでMOMOKAだと分かる声をちゃんみなは逃さない。
YURIとMOMOKAの低音でのマイク乗りの良さは、ちゃんみなの作る縦横無尽の楽曲に最高にフィットすると思う。

KOHARU
未経験から始めた歌。
「 Tiger」と「NG」は5次審査と同一人物とは思えない"引き"の声色だったし、「Drop」ではファンをブチ上げる強い歌唱で、重ねてきた努力の時間を感じた。2次審査から比べてTHE FINALまでにかなりの変貌を遂げている。それでも歌唱に関しては比較され、しんどい思いをすることもあるだろう。しかしまだ歌を始めてたった1年。真面目な彼女はもっともっと成長していくに違いない。

前のブログでも"丸"という表現で触れたが、ちゃんみながKOHARUに求めているのは、例えば100%のチーム力を120%まで引き上げるような、そういう役割だと思う。
クリエイティブ力と気遣い、それでいて本音や解決策も的確に伝えるバランス力は本編やVlogから見てズバ抜けているし、そこがちゃんみなの言う「代弁者」たる所以だと想像する。

最後にMAHINA
「Drop」での輝きは誰の目にも明らかだろう。マイク乗りは抜群で、ジャンルレスを目指すちゃんみなのガールズグループでの最高のスパイスである。Aチームの再生回数が圧倒的にBチームを上回っているのも、MAHINAの中毒性のある歌声による貢献は大きいんじゃないかと私は思う。
「Sad Song」での"永遠てことにしとこうよ"は最高だった...!

FUMINO、KOKONA、KOKO

フィナーレ後に、フィードバックの時間が設けられた(動画#16ではフィナーレ前での編集となっている)。

FUMINO

私がプロデュースするよりも、もっと輝ける場所がある。(中略)私がFUMINOを受け取ってしまったら、FUMINOは幸せなんだろうか。

No No girls #16より

THE FINALでFUMINOが最も輝いていた時間は「B」と「In The Flames」だったと感じる。
ソロに関しては、転調後ピッチが大きくズレてしまったが、ちゃんみなはそんなところは審査に考慮していないと思う。誰でも失敗することをちゃんみなは良く知っているから。

明らかだったのはTigerやDropのような、これからちゃんみながプロデュースしていく一部になるだろう強い楽曲より、やはり終始柔らかい楽曲の方がFUMINOが余す所なく輝けるだろうというのは想像に容易い。

KOKONA

なりたい自分が明確になった方が輝けると思った。(中略)私がプロデュースするものと、KOKONAがやりたいこと、目指していることっていうのは私と似てるんだけれども、同時に反していることでもある。

No No Girls #15より

KOKONAがやりたいこととは何か。それは個人面談(#13)から分かる。
「自分の歌詞を、声にして届けたいという思いが強い」
それがKOKONAのアーティストとしてのビジョンである。

KOKONAとちゃんみなが目指している場所が似ているのは、KOKONAが自分のリリックを歌い上げる姿から十分に伝わってくる。
実際ソロの変更された歌詞は音のハマりもリリックも最高だった。

一方で、「Tiger」や「Drop」など与えられる楽曲を体現するのが主体のガールズグループに所属するのは、KOKONAのやりたいこととは反している。

KOKONAはちゃんみなの大ファンだからHANAに入れたら幸せだと思えただろう。ちゃんみなはそれも分かった上で、KOKONAの本当の意味で"なりたい自分"とは違うことに気づいて欲しくて、本当の意味で"なりたい自分"になって欲しくて伝えた言葉だと感じた。

「Sad Sond」でふたりが手を繋いで、目を見つめ合って歌うシーンは、ガールズグループという形では噛み合わなかったのかもしれないけど、1年間丁寧に育てられてきた愛が体現されていて、何度見ても、なんなら思い出すだけで、泣く。


KOKO

まだ受け止めきれてないのかなと思った。(中略)Noと言われてきたことをリリースしてほしい。

No No Girls #15より

個人的には、3次審査からTHE FINALまでを通して、さまざまな場面で目立とうとしすぎているのを感じた。ここで言う目立つというのはアピールと置き換えても差し支えないと思う。

語弊がないように言いたいが、目立とうとするそのこと自体はオーディションという性質上、当然だ。通常のオーディションであれば、プロデューサーの目を惹かなければ上がっていくことができないだろう。もう一度言いたい。当然のことなのである。

しかし、ことNo No Girlsにおいては"目立とうとする=自分もちゃんみなも仲間も信頼していない"という心を表現してしまっている気がしていた。

意図的に目立とうとしなくても、ちゃんみなはKOKOの素晴らしさに気付いてくれていただろうから。

意図的に目立とうとしなくても、仲間はKOKOを出し抜いたり、潰したりしなかっただろうから。

前回のブログ「KOKOの"天井"考察」でも触れたが、ちゃんみなには最後までKOKOのトゲが見えていたのだと思う。

傷付いてきたのは分かっている。
それでも人を、自分を、どうか信じてほしい。

フィードバックの言葉の端々で、ちゃんみながそう言っているように聴こえた。

枯れない花

ファイナリスト同士が手紙を読み合うシーン(#14)にて、KOHARUは「私たちはなんとも難しい関係だね」と言った。

そうなのだ。
オーディションなのに、単純に「仲間」と呼ぶには綺麗事が過ぎるだろう。実際、7人と3人で分つ事になった。

再びKOKOに焦点を当ててみる。
私は芸能やアーティスト活動に全く無知だが、KOKOが幼少期から過ごした環境もやはり「仲間=ライバル」だっただろうというのは想像に難くない。主役になれるのはひとりだけ。優勝できるのはひとりだけ。そういう世界をKOKOは生き抜いてきたのではないだろうか。

今回KOKOが戦ってきた環境と大きく違ったのは、他の誰でもない、ちゃんみながいたことだ。

ちゃんみなは、Girlsに向けて、何度も何度も何度も言った。

「仲間しかいない。味方しかいない。」

それはオーディションだけを見るなら、オーディションで終わりなら、綺麗事と言われるかも知れない。しかし、ちゃんみなが見据えているのはオーディションの先の未来。

枯れないHANAが輝き続ける未来。

ちゃんみなはそういう未来を描いていたからこそ、見送らなければならない3人の幸せと同時に、HANAになるメンバーには同じ色や、同じ目標や、深い絆を求めたのだと私は思う。

ちゃんみな

言うまでもないが、ちゃんみなのことが前よりもっともっと好きになった。

GirlsたちのNoのために、一緒に闘うちゃんみなの過去こそがまさに「NG」であり「美人」であり、ちゃんみながこの世に生み出す全ての楽曲なのだと感じることができた。

ちゃんみなの歌が好きなだけだったけれど、"人間ちゃんみな"ごと好きになった、という表現が正しいかも知れない。

26歳という若さで紡ぎ出す言葉が過去の傷を惜しみなく曝け出していて、自分の弱さを認めるその強さに、惹きつけられて止まない。

一生ついていきます!!!

とりあえず絶対今年のライブ行きたい。
頼むー!!当たってくれー!!!

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