#381 蹴球論37|2002年 ジーコJAPAN始動(2002/10-2003/6)
ジーコJAPAN・・・まるで悪夢のような4年間でした。
この時期はピークで退屈だった大学時代だったので、皮肉にもこの時代の代表戦は一番見た記憶がありますね。
ほとんど全試合覚えてます。
トルシエJAPANとジーコJAPANの違い
トルシエは選手を型に嵌めて、選手の個性よりチーム全体の組織性・バランスを重視しました。
それは本来であればボランチの選手中田浩二をDFで、小野や明神をサイドで使うことから分かるように、「個性よりチームプレイ」ということで、「没個性で十分」と言い張る編集王の疎井編集長のようなスタンスこそ、トルシエJAPANだったのではないでしょうか。
一方ジーコJAPANはその真逆で、選手を型にはめることはせず、選手の自主性に任せました。規律もなく、スタイルもなく、選手の自主性に任せるスタイル。そういうと聞こえが良いですが、要は選手任せでまともな戦術がなかったというのが僕の感覚なのですが・・・
やはりトルシエ時代とジーコ時代、両方の時期に召集された選手は「ジーコの方が良かった」と言いますね。当然です。
正直、我々視聴者は「勝てばなんでもいい」という雑な感覚があります。
良いサッカーだろうとかはもちろん重要ですが、勝つことの方が重要です。
多分一番いいサッカーをしてたザックの時の2014年は勝てず、岡ちゃんの専守防衛の2010年とかは勝てたし、西野さんのとにかく突破にこだわる2018年も勝てた。
やはり、オーディエンスとしては勝てる代表を見たいんです。
そういう意味だと、ジーコJAPANはW杯の惨敗のイメージが強いですが、結構勝たなければならない局面で勝っていたので、その点も運が良く・・・途中解任などのテコ入れも入らなかったですね。
ジーコJAPAN 召集メンバー 〜黄金の中盤〜
基本的には日韓で結果を出したメンバーをセレクトしつつ、注目されたのはやはり中盤。
結成当初は主将を任された日本サッカー界の顔・中田英寿、ワールドカップでも大活躍した天才・小野伸二、そしてベルギー戦、ロシア戦の活躍も記憶に新しい稲本潤一、そして直前で外されたも天才的なテクニシャン・中村俊輔の4人は黄金の中盤と呼ばれ、流石に当初はワクワクしたものでした。
一方、名良橋の選出は驚きました。
4バックをやりたい意向があり、当時のJリーグは3バックが主流で、サイドバックの人員が不足していたのも分からないでもないですが、この辺に一抹の不安を覚えました。
ちなみにこの時招集されたメンバーの22人のうち、12名がドイツW杯のメンバーに選出されます。コンスタントに収集され続けた結果と言えなくもないのですが、若くして日韓W杯を経験した選手達が成長し、特に黄金世代が最も良い状態でドイツで選手ピークの時期を迎えられたというのが理由なので・・・だからこそ悔しいですね。
ジーコJAPAN戦績(2002年〜2003年)
コンフェデ前までの7試合、戦績は1勝3分3敗と、なかなかダメなスタートでした笑
#01 1△1 ジャマイカ| 2002.10.16 キリンカップ
初陣です。
俊さんもですが、W杯直前でアウトだった高原も気合が入っていたと思われる本試合。黄金の中盤が機能し、パスカットから流れるような展開で小野のゴールで先制。この時期はかなり期待できました。
そしてその後追いつかれて1-1のドローで終了。
まぁ初陣なので・・・こんなもんでしょうか。
この時の黄金の中盤にはワクワクしましたが、この時を含めて2回しか見れなかった気がしましたね笑
#02 0●2 アルゼンチン| 2002.11.20 キリンカップ
日韓W杯は優勝候補でありながら、まさかのグループリーグ敗退に終わったアルゼンチン。雪辱を味わった日本に半年後訪れてリベンジに向けた気合いは十分だったと思われます。
クレスポ、ベロン、クラウディオ・ロペス、サネッティ、サムエル、ソリンとウイイレでもしれたメンツが揃い、気合十分。
一方日本は中田英や稲本など海外組はクラブ事情で来れず、俊さんのみ帰国して飛車角が落ちた状態で・・・いいようにやられました。
まぁ、相手が悪かったと言えば悪かった。そこまで勝つスイッチじゃなかった気もしています。
#03 2△2 ウルグアイ| 2003.3.28 親善試合
このウルグアイ戦が、本日紹介する7試合の中ではベストだった記憶があります。
相手にはインテルの英雄でウイイレでみんな大好き、みんな20番に憧れたアルバロ・レコバがおり、のちにW杯MVPとなり、日本にも来たディエゴ・フォルランもいました。
そんなウルグアイに2度先制を許すんですが、鈴木のPK獲得〜俊さんGETというジーコJAPANの必勝パターンと、中田英のパスを受けた稲本のペナルティーエリア外からのミドルで追いつき、2-2で終了。
期待が高かった黄金の中盤はこの試合で最後だった気がします笑
#04 1○0 韓国| 2003.4.16 親善試合
アウェーでの親善試合、相手は韓国です。
長かったジーコJAPAN初勝利でしたが、しょっぱい試合でした笑
後半終了間際の永井のラッキーゴールでかろうじて勝てたという試合でしたね。
#05 0●1 韓国| 2003.5.31 親善試合
1ヶ月前と同じく韓国と親善試合(このマッチメイクは何の意図が・・・?今考えても謎です)
同じ対戦相手と、ほぼ同じ布陣で挑み、今回は0-1でホームで破れるというまさに1ヶ月前と逆の展開で敗戦。
特に印象に残ってないですが、この時期イケイケだったアテネ世代のエース・大久保嘉人の代表デビュー戦だったのは覚えてます(当時20歳)
#06 1●4 アルゼンチン| 2003.6.8 キリンカップ
なぜかフル尺の動画しかなかったんですが・・・
ジーコジャパンの転機となったアルゼンチン戦です。
リケルメ、サビオラ、アイマール、カンビアッソetc…という前年にも負けずとも劣らない面々で、結果1-4でボコボコにされます。
秋田がCKからヘディングで一矢報いるのですが・・・この試合でジーコは非常な決断をします。
#07 0△0 パラグアイ| 2003.6.11 キリンカップ
この試合でアルトゥール・アントゥネス・コインブラことジーコは、非常な決断をします。
これまで、服部ー秋田ー松田(森岡)ー名良橋とほぼ固定で置いていたDFラインを一新し、三都主ー坪井ー宮本ー山田暢にチェンジ!
何も考えてなかったこと丸出し!!
友達から「ジーコが、狂ったぞ!」とメールが来た記憶がありました笑
以降、三都主の左サイドバックは通訳的立ち位置もあり固定化されるのですが、毎回僕らはヒヤヒヤしながら見ていたものでした。
「三ちゃん、上がるなって!」
「三ちゃん、パス出せって!」
僕らは利己的な三ちゃんにかなり厳しかったですね笑
あとこの試合は大久保の幻のゴールもありましたが、オフサイドか何かで取り消されて、そこから大久保の初ゴールまで長かったですね・・・
まとめ
そんな感じで7試合で1勝3分3敗というダメ成績で、7試合で5得点10失点と、どちらも良くないという結果に笑
とにかくこの時期は代表戦は友達と見ていたので、非常に盛り上がってみていましたが、監督に対しては冷ややかな目で見ていたという笑
次回は2003年 コンフェデについて語ります。