#394 蹴球論38|2003年 コンフェデレーションカップ 〜暗雲〜
さて、そんな感じで前回ジーコJAPANの船出を懐疑的に振り返りました。
その手腕に対する疑念が払拭されないまま、迎えたのはFIFA主催の大陸別王者決定戦、すなわちコンフェデレーションカップですね。
日本代表は2000年に開催されたアジアカップを制したので、その翌年の2001年、そして2003年に出場する機会をGETしていたのですね。
そして2001年大会は、プレW杯の意味合いもあり、日韓で開催されました。
日本代表は健闘し、準優勝という好成績で良い形でW杯に突入し、結果として初の勝利、初の決勝トーナメント進出を実現しましたね。
コンフェデレーショカップ2023
そして2003年、日本が3度目の出場となるコンフェデレーションカップはフランスで開催されました。
召集メンバー
ジーコJAPANの真価が問われるこの大会、招集メンバーは下記の通りでした。当時のベストと言っても過言ではないでしょう。
最年長が秋田で、最年少が大久保ですかね?
シドニーの世代が中核の代表となり、若く才能あふれる選手が多く召集されていましたね。
海外組も5人と、徐々に増えてきていた状況です。
この時期Jリーグはマリノスが独走している状態で、奥が選出されています。
出場国&グループ組分け
そして日本代表が所属するAグループは、
開催国でありヨーロッパ王者(EURO2000覇者)のフランス、南米王者(コパアメリカ2001覇者)のコロンビア、オセアニア王者(OFCネイションズカップ2002覇者)のニュージーランドというまさに大陸王者決定戦に相応しいグループ。
ちなみにBグループは、アフリカ王者のカメルーン、北中米王者のアメリカ、そして前年のワールドカップを制したブラジルと、3位のトルコ(準優勝のドイツが辞退した模様)と、こっちもこっちでなかなかデスでしたね。
コンフェデ2003 グループリーグ
第1戦 3○0|ニュージーランド
初戦のニュージーランド戦は、確実に勝てる相手というか、勝っておかなきゃマズイ相手でした。
スタメンはGK楢崎、DFは三都主、坪井、宮本、山田とパラグアイ戦と引き続きのメンバー。MFは後ろが稲本と遠藤、前に中田英&俊さん、FWは高原と大久保という布陣で、早々に俊さんが角度のない所から決めて先制すると、後半には中田英の豪華なミドルで2-0、そして山田暢のクロスから、珍しい俊さんのヘッドで3-0。格下相手でしたが、圧勝でした。
そしてこの試合のジーコの采配は相変わらずで、グループリーグは中1日での3試合が続き、早々にリードした段階でメンバーチェンジ、もっと言うとターンオーバーもするべきだったんですが、1人も選手交代をしなかったのが物議を醸しました。
この時、周りでこんな会話をしたのを覚えてます。
そんな感じで一縷の望みを託して、フランス戦に挑んだのですが・・・
第2戦 1●2|フランス
蓋を開けてみると、スタメンは前試合と全く変わらない布陣でした笑
僕らみたいな素人ですらターンオーバーを予測したのですが、裏の裏というか、何も考えてないというか・・・
それでも日本は欧州王者フランス相手に善戦します。
前半終了間際に稲本がPKを与えて、ロベール・ピレスに決められてしまうのですが、後半に俊さんが圧巻のフリーキック!
このゴールは過去に俊さんについて熱く書いた時、ベストゴールに挙げたくらい興奮しました。
あのファビアン・バルテズの手を巻いて入りましたからね、大したFKでした。
しかしながらその直後、シドニー・ゴブに決められて力負け。
それでもジーコジャパンで最高の好ゲームでしたね。
第3戦 0●1|コロンビア
そして第3戦のコロンビア戦。
共に1勝1敗で迎えて、引き分け以上で日本が決勝トーナメントに進出できる展開でした。
スタメンはケガの俊さんに変わって満男と、累積で出場停止の稲本に変わって中田浩二が出た以上は、例によってほぼ変わらず笑
で、後半に宮本がヒールでミスパスして決められて敗戦。
ジーコが宮本に試合後にダメ出ししていたのが印象的でしたね笑
選手のせいにするんじゃないよって笑
そんな感じで3戦を終えて1勝2敗でグループリーグ敗退。
MVPは3ゴールの俊さんでしょう。
大会その後
Bグループはブラジルがまさかの予選敗退で、カメルーンとトルコが勝ち上がります。
そして準決勝第1試合はフランスがトルコに勝利し、第2戦はカメルーンがコロンビアに勝利したんですが・・・
この準決勝2戦目で悲しい事件がありました。
カメルーン代表のMF、マルク・ヴィヴィアン・フォエが、この試合の後半途中でピッチに倒れ込んで搬送されたのですが、肥大型心筋症にて逝去してしまったんです。
元々体調不良などもあったとのことですが、非常に悲しい事件でしたね。
これは超過密日程も原因している為、この大会から開催期間を2年に1度から、ワールドカップの前年の4年に1度とルールが改められました。
それだけ、過密日程は危険であるということを、悲しくもフォエの逝去で気付かされたという感じです。
日本の監督もほぼ選手交代しなかったので、マジで明日は我が身でしたからね・・・
そして決勝はフランスがアンリのゴールで1-0で勝利して大会2連覇。
MVPは大会4得点のアンリが受賞となりました。
まとめ
相変わらず結果を残すことができなかったジーコJAPANですが、ニュージーランドに圧勝したり、フランスに善戦したし、コロンビア戦もミスがなければ失点はなかったし・・・と考えると、割とジーコに対しても情状酌量というか、まぁ「穏便に」というエアーが流れていましたが、少なからず「ジーコで大丈夫か?」というコメントが多く散見されました。
そんな感じのジーコJAPANですが、次回は2003年のJリーグを総括したいと思います。