#281 蹴球論28|2001年コンフェデレーションズカップ 〜最高の記録〜
この大会に関する手記を書いていなかったので、ちょっと時間を戻してコンフェデレーションカップ通称「コンフェデ」に関して調べてみましたが、もう無くなっているという衝撃の事実を知りました。
確かに最近聴いてなかったけど、まさか無くなっていたとは・・・
コンフェデとは?
プレ・ワールドカップとして、かつてはW杯の前年と翌年に開催されておりました。
出場資格があるのは、まずは大陸王者決定戦の覇者。
欧州であればEURO、南米であればコパ・アメリカ、アジアでいうとアジアカップの覇者が本大会に出場できます。
更に、W杯開催国や、W杯優勝国を加えた8チームで開催されます。
日本の初出場は1995年。
この年はまだ大会名が旧式名称(キング・シャハド・カップ)だったんですが、1992年の広島アジアカップの王者として出場し、アフリカ王者のナイジェリアに0-3、南米王者のアルゼンチンに1-5と惨敗し、この大敗で松永とかラモスとか柱谷とか・・・代表の世代交代が始まった印象もあります。
そして1996年のアジアカップはクウェートの同じヒゲに2点決められてベスト8で去ったので、97年と99年にコンフェデには出場できず・・・
しかし、4年後の2000年のアジアカップは圧勝しましたので、95年大会から6年ぶりの出場となりました。
2001年 コンフェデに挑む日本代表メンバー
メンバー23人はこんな感じです。
この23人中、15人がのちの日韓W杯に出場することとなります。
99ワールドユース組が3人、00オリンピック組がOA含めて8人、アジアカップ組が11人と、同ポジションでの熾烈な競争が行われており、この辺の競争意識を煽るトルシエの選出は僕もすごく好きでしたね。
その次の監督とか酷かったですからね笑
アジアカップMVPの名波、更には大活躍だった俊さん、高原が居ないのは理由は覚えてないですが、デーヒーもいるしほぼベストに近い陣営で日本は本大会に挑みます。
2001コンフェデ出場国
元々の参加レギュレーションで考えると下記となります。
開催国が2カ国ある問題は、日本がアジア王者になったので相殺できて良いものの、ヨーロッパ王者&前回W杯王者でフランスが被ってしまってました。大会を盛り上げるため、EURO00準優勝のイタリアでも呼んでくれたら良かったのですが、前回コンフェデ王者のメキシコが参加することになり、この8チームで開催することに。
プレ・ワールドカップなので、日本と韓国のブロックごとに開催国・競技場が分かれるグルーヴに。
2001コンフェデ 予選リーグ
日本の相手はこんな感じです。
第1戦:カナダ 2001/05/31 新潟スタジアム
第2戦:カメルーン 2001/06/02 新潟スタジアム
第3戦:ブラジル 2021/06/04 カシマスタジアム
第1戦:カナダ
魅せてくれるシンジ・オノ!
芸術的FKと、決勝点のアシストで快勝!未だに現役なのが凄いですね。
そして森島&西澤のセレッソコンビの2TOPもキレキレでした。厳密にはこの時期西澤はエスパニョールに移籍してましたが、相性は大事ですね。
第2戦:カメルーン
この試合は師匠(鈴木隆之)の独壇場でした。
師匠はジーコジャパン後期はネタ的に扱われていましたが、僕は大好きでしたね。超絶イケメンなのにプレーが泥臭いところがすげー好きでしたね。
そんな感じで1点目な中田浩二のパスが素晴らしすぎるんですが、落ち着いてトラップして落ち着いて決める、師匠らしくないゴールでしたが笑
第3戦:ブラジル
そして既に決勝トーナメント進出を決めていた日本はターンオーバーで、主力を休ませて金持ち喧嘩せずでブラジル戦に。
で、この試合は見てましたがクソ地味なスコアレスドローで、流石にYouTubeもなかったです笑
そして結果、2勝1分の勝ち点7で1位通過で決勝トーナメント進出!
(2位通過は1勝2分の勝ち点5のブラジル)
2001 コンフェデ 決勝トーナメント
準決勝:オーストラリア
そして、のちにライバルとしてアジアで争うオーストラリア。
オーストラリアは当時まだアジア圏ではなく、オセアニア圏でした。
グループリーグではフランスを破って勢いに乗るこのチーム。
そしてこの日、横浜は鬼のような雨!Endless Rain!
Fall on my heart,心の傷に!
未だかつて見ないとんでもない雨でした。
そしてこの試合で異彩を放ったのは中田英寿でした。
見てください、この地を這うフリーキック!
元々、所属していたローマとの取り決めで、予選の3試合だけの出場と決まっていたにも関わらず、トルシエがワガママ言って「泣きの1回」ということで出場した準決勝戦。ここでしっかり結果を出すのが流石です。
そしてこの1点を守り切り、決勝へ!
FIFA主催の国際大会での決勝進出は、99年ワールドユースに続いて2度目!フル代表では初!
8チームしかいないコンフェデとはいえ、大陸王者やW杯優勝国が集まったこの大会でこの活躍は立派です。
こうしてみると、本当にトルシエの頃はタイトル取りまくってたんですねえ。
決勝:フランス戦
そうして挑むはフランス。
98年W杯王者であり、00年にEUROを制した王者であり、つい3ヶ月前に日本をボコボコにした鬼畜です。
スタメンもこんな感じです・・・
ジダン・アンリ・トレセゲこそいないですが、アーセナルで当時ブイブイ言わせていたヴィエラ、ピレス。ヴィルトール。
そしてデサイーもカランブーもジョルカエフもリザラスもいて・・・そしてワントップは俺も大好きだったニコラ・アネルカですよ!こいつは悪くて好きでした笑
で、結果は0-1の敗戦。
もう前半早々にヴィエラに頭で決められて以降は、流されていた記憶がありますね。
圧巻の横綱相撲でした。
2001年コンフェデを振り返って
まぁフランスには負けましたが、W杯に向けて素晴らしい大会になったのではないでしょうか。
全試合見た記憶がありますが、個人も「W杯に向かって行くんだな!」と熱く、盛り上がった記憶があります。
そんな感じで次はいよいよ2002年日韓ワールドカップについて書きますが・・・流石に1回では書けないので、全6章くらいになりそうなので事前に言っておきます笑
(開始前の雰囲気・ベルギー戦・ロシア戦・チュニジア戦・トルコ戦・総括)