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#972 ゲーム論43|ワールドサッカー実況ウイニングイレブン3 FINAL ver.
ウイニングイレブン通称ウイイレと言うパンドラの箱をそろそろ空けましょう。
高校時代はそうでもなかったのですが、大学時代から僕はこのゲームに熱中し、恐らく大学時代の1/10くらいはウイニングイレブンに費やしたと言っても過言ではない位、病的にウイイレに勤しんでいました。
恐らくこの時間を全て、司法試験の勉強とかに使っていれば、今頃弁護士としてブイブイ言わせていたかも知れません笑
それくらい時間を犠牲にして、身を粉にして、このゲームに僕は没頭してしまった次第です。
まずは、ウイイレに出会う前までの私のサッカーゲーム遍歴を紹介しましょう。
私のサッカーゲーム変遷(SFC時代)
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これまでに、このゲーム論で紹介した通り、僕はかなりのサッカーゲームをスーパーファミコンで経験してきました。
初めて買ったのはスーパーフォーメーションサッカーでしたね。
1はベルギーから倒し、2はアメリカから倒すやつですね。
裏ボスのHUMANチームは、トイチを潰すとこからはじめるやつです笑
プライムゴール派の友人もいましたが、僕はエキステ派でした。
サロンフットボールとか、10パターン位のゴールバリエーションを今でも使いこなせると思います笑
そして終盤は完全に実況ワールドサッカーですね。
SFCでは2まで楽しみまして、ここで一旦僕のサッカーゲーム歴史の第一章は終了した、と言っても過言ではないでしょう。
これは・・・ハマることは無かったですね笑
ウイニングイレブンとは?
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コナミがウイイレシリーズをリリースしたのは今から20年前、1995年7月21日、PlayStation版としてシリーズ第1作の『Jリーグ実況ウイニングイレブン』が発売され、続いて1996年3月15日に『ワールドサッカーウイニングイレブン』が登場しました。
その後はコンスタントに年1くらいでリリースされてきたようです。
同じくコナミからリリースされた「実況ワールドサッカー」に系譜は近く、ダッシュボタンやスルーパスボタンがある操作性、そして実況や解説というエンタメ性、更には徐々に選手の実名やクラブライセンスなどを取得し、徐々にリアルになっていくリアリティ感覚が滅茶苦茶面白く、毎回「最高」を更新していったのですが・・・それらの変化は追って紹介しましょう。
僕が初めてウイイレをしたのは覚えてないですが、多分1と2は未プレイでしたので、この3からだったと記憶しておりますが、とにかく楽しくて楽しくて、友達の家でやりまくっていた記憶がありますね。
ワールドサッカー実況ウイニングイレブン3 FINAL ver.とは?
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ウイイレ3は「フランスW杯ver」と「ファイナルヴァージョン」の2種類が発売されておりまして、前者は98年5月、後者が98年12月に発売されたようです。
そして前者はFIFAよりライセンスを購入し「ワールドカップ」の名称を使ったりしているんですが、発売日の都合上、代表のメンバー確定前に発売せざるを得ず、日本代表の11番に「三浦」がいるのがなかなかメロウと言うか、粋な演出があります笑
僕がプレイしたのはどっちか忘れてしまったのですが・・・そんな感じでメンバーは1998年W杯に出場していたメンバーが中心であり、海外サッカーが一番面白かった時期ですね。
この時期のウイイレの楽しみ方
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1. カップ戦
1人で2~3時間くらいでサクッと遊びたい時は、このカップモードですね。
インターナショナルカップ(ワールドカップ)で、グループを作っていくんですが、ランダムだと味気ないので「自分の中でポッド」を決めて、いい感じに振り分けていくのが楽しいんですよね笑
昔はオランダとかで遊んでいましたが、途中から日本でどこまで行けるのかを試したくなりますし、フランスW杯のリベンジをやったりできるのがいいですね。
2.リーグ戦
カップ戦より長い時間をかけて楽しみたい時は「リーグ戦」が良いですね。
16チームとかで総当たり戦を行うようなもので、現実的には厳しそうと当時は思っていましたが、ユーロでUEFAネーションズリーグみたいなものが生まれたり、この辺がイメージに近いですね。
正直長いだけなので、途中で飽きちゃいます。
3. 友達との連携
ウイイレの最大の特徴は、1人でも2人でも楽しめることだったりします。
この時期はまだ「マスターリーグ」という大学生を廃人にするコーナーもなかったので、1人より2人以上で楽しめるのがウイイレでした。
エキジビジョンマッチで友達との対戦して盛り上がるのが基本ですが、1pと2pで友達と一緒に敵と対戦するという画期的な遊び方もできたりしたので、友達と盛り上がることこの上なしですが、友達との仲が悪くなったりもします笑
この時期のウイイレのヒーローたち
この時期のウイイレは、各選手の能力値がそこまで正確でなく、どちらかと言うと「スピード」さえあれば無双できる世界だったので、おのずと「使いやすい奴=早い奴」という感じで、スピードスターたちが人気でした。
ロナリド(ブラジル)
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ゲーム上の表記はロナリドですが、言うまでもなくこの人ですね。
このゲームが発売した1998年のワールドカップMVPで、まだ怪我もする前で、とにかく鬼のようなストライカーでした。
今のハーランドとかムバッペとかも凄いけど、全盛期のロナウドはそれ以上だった記憶があります。
怪我以降はウイイレ上でケガ体制が低く、コンディションも基本悪いという所がリアルで非常に秀逸でしたね。
R・カルース(ブラジル)
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このR.カルースも言うまでもなくこの人です。
この人は90年代後半、世界で一番有名だったサイドバックな気がしますし、とにかくその左足の大砲のパワー、スピードはハンパなかった。
このヴァージョンからは覚えてないですが、ロベカル独自の助走をつけてのフリーキックを蹴る演出とかメチャクチャカッコよかったですね。
僕はチート過ぎて使ってませんでしたが、ロベカルはみんな使っていましたし、仲の良かった友人は「ロベカルを左ウイングで使う」という離れ業を行い、僕は「糞だね」と否定してきましたね笑
ヤルニ(クロアチア)
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ゲーム上での表記は忘れましたが、このヤルニがまぁ変態でしたね。
とにかく足が速い、速い、速い!何人たりとも彼の前に走る男は存在しなかったですね。
日本戦でも出てました。
ババンギダ(ナイジェリア)
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そして初期ウイイレといったらこの人でしょう。
恐らくナイジェリアの次に日本で人気ありますよね笑
何気にアトランタ五輪の日本戦でゴールを決めていたりするんですが、とにかくそのスピードと、一度聴いたら忘れられない名前で一世を風靡し、このあとの初期マスターリーグでも大活躍でした。
前述の3トップの左にロベカルを配置していた友人ですが、右ウイングにババンギダを置いており、僕は「糞だね」と言った記憶がありますね笑
まとめ
そんな感じのウイイレ3ですが、今考えるとまだまだ完成度は低いですね。
僕がピークで遊んでいたのがウイイレ6~8くらいだったと記憶していますが、この辺の過程があって、あの名作が生まれたと思うとこの時期もこの時期で愛くるしいですね。
それでは次回はウイイレ4,ここで現れたゲーム界の黒船「マスターリーグ」について語りましょう。