#224 蹴球論24|2000年 アジアカップ 〜史上最強のA代表〜
失意のシドニーオリンピック後、日本が挑んだのはアジアカップでした。
アジアカップはその名の通りアジア中の国がNo.1を決めるために戦うイベントであり、優勝国はその名誉に加えて大陸王者が集まるコンフェデレーションカップ(旧:キング・シャハド・カップ)に参加できるんです。
日本代表は1992年のオフト時代、この大会で初優勝しました。
グループリーグ最終戦のイラン戦でキング・カズがゴールを決めた後のインタビューで答えた「脚に、魂込めました」は今も語り継がれるサッカー界至高の名言ですね。
しかし続いた1996年大会、ここではベスト8であっさりクウェートに敗れてしまいます。正直この大会の記憶はあまりないんですが、日本からゴールを決めて喜んでいるクウェート人はまだ覚えてますね笑
そしてこの大会を思い出す時、1994年に開催されたファルカンジャパンの広島アジア大会を混合して思い出す人も多いでしょう。韓国戦の井原のロングシュートとか凄かったですよね(その後誤審で負けましたが・・・)
確かファルカンはこの敗戦で更迭されましたね・・・
そんな感じで話が逸れましたが、
2大会ぶりの優勝を狙うトルシエジャパンは、レバノンの地に向かいました。
2000 アジアカップ陣営
今回のメンバーは史上最強と言われておりました。
確かセリエAの開幕を控えた中田英寿はクラブが出場許可を出さず、不参加となっておりますが、これまで代表を牽引してきた名波・森島・三浦淳、アトランタ組の川口・松田・服部と、シドニー組(年長)の明神・柳沢・俊輔・中澤、そしてシドニー組年少でワールドユース準優勝の高原・稲本・小野。
とにかく今見ても超豪華メンバー。スタメン迷いますね。
背番号がバラバラなのがなんとも・・・ですが笑
とにかく最高に強かった。
歴代で一番強いと思ったA代表を聞かれたら、僕はこの時期をおそらく答えると思います。それ位圧倒的でした。
グループリーグ
1試合目でサウジを4-1で下し、「これ優勝するな」と当時山本昌邦ヘッドコーチも思ったと著書「山本昌邦 備忘録」で触れておりましたが、とにかく圧巻だった。
高原と西澤のツートップが点取りまくるし、森島も上手く絡んでくるし、とにかく強かった。あとは小野もキレてましたね。
そしてこの大会は名波が圧巻でした。
俊輔とのサイドチェンジとか、ポジションチェンジとか、マジでワクワクしながら見てましたね。
俊さんも「人を活かして、自分が活きる」という名波のプレースタイルに感銘を受けていました。
そしてウズベキスタンを8-1という無慈悲なスコアで圧勝し、完全ターンオーバーでカタール線を挑んで、決勝トーナメントへ。
決勝トーナメント
初戦のイラク戦は先制されるんですが、そのわずか数分後、
日本代表の歴史に残るスーパービューティフルゴールで同点に追いつきます。このゴールはマジでヤバいですよ!!!!
まさに天才と天才の融合!
そしてその直後に速攻高原が決めて逆転し、全く問題なく4-1で圧勝。
準決勝の中国戦はシーソーゲームを制し、3-2で勝利。
この時期の中国は強かったですね。
そして決勝の相手は、グループリーグ初戦で圧倒したサウジアラビアですが、サウジも仕上げてきており、初戦とは変わった一進一退の攻防に。
そんな中で望月(懐かしい!)のゴールで先制し、オールバックの川口がアトランタオリンピック準決勝の同じくサウジ戦を彷彿とさせる鬼神のようなセービングでゴールを堅守し、そのまま1-0で勝利!
2大会ぶり2回目の優勝!
大会MVPは名波でした。納得の選出ですね。
それから
本大会の圧勝で日本代表には自信がつきました。
時系列忘れましたが、この年のこのアジア大会の前後に行ったハッサン2世杯でフランスと引き分けたのもあり、これらの健闘で少し"慢心"が芽生えてしまった感もあり・・・
その自信を半年後くらいのフランス戦で打ち砕かれたのでした(この件も別途書きましょう)
尚、アジアカップは翌2004大会も制して連覇を成し遂げ、その後の2007大会は準決勝で敗れ、2011大会で4度目の優勝をしてから、タイトルが遠ざかっています。
ただ、歴代の大会で一番、この大会のA代表が強かったという思い出が残ってますね。
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