#489 蹴球論46|小野 伸二 ~Shinji Ono~
日本サッカー界のレジェンドがまた1人、スパイクを脱ぐことになりました。
小野 伸二―天才と呼ばれた、サッカーの神様に愛された偉大なるサッカー選手ですね。
小野伸二とは?
生まれは1979年で、稲本、遠藤保、高原、中田浩、本山etc…と言った、いわゆる黄金世代とカテゴライズされる世代でしたが、この黄金世代を代表する中心人物こそが小野伸二でした。
日本のブラジルと呼ばれた静岡県で育ち、貧しい家庭で育ったのでサッカー少年団に入れなかったにも関わらず、たまたまボールを蹴っていたボールタッチに指導者が感銘を受けて部費免除でスカウトし、そこからはU-12のトレセンに選出され、そこからは順風満帆のサッカー人生。
高校卒業時にはJチーム13チームからスカウトが来て、プロ1年目の18歳でA代表に選出されてワールドカップに出場し、その年のJリーグ新人王&ベストイレブン受賞。翌年にはキャプテンとしてワールドユースで準優勝。
この輝かしいキャリア、記録は一生抜かれない記録となるでしょう。
しかし、この直後の時期くらいでしょうか?
史上最強と言われたシドニー五輪予選、怪我で長期離脱してしまい…そこからは怪我との戦いとなりました。
このケガが原因で、これまでのイマジネーション溢れるプレイができなくなったとも語っています。
それでもアジアカップや、日韓ワールドカップなどでも活躍し、記憶に残るプレイヤーとして活躍してくれました。
そしてここ近年は、私が愛するコンサドーレ札幌で長きにわたりプレイをしてくれました。
そして、こうしてスパイクを脱ぐ日がいつか来るとは思っていましたが…
背番号44番が、44歳という節目に引退することとなりました。
小野伸二の魅力
サッカー経験者が皆、口を揃えて小野を「天才」と評します。
実際にどんな声を集めているか、簡単に紹介すると・・・
世界中の名だたるサッカー選手からまでも「天才」と思われるのは、そのボールタッチの柔らかさ、トラップの正確さ、キックの精度、イマジネーション溢れるプレイetc…
全てが魅力的な、本当に華のある選手でしたね。
小野の背番号は?
これだけ偉大なのに何故か背番号が安定しない選手でした。
高校(清商)時代は8、浦和でも8、フェイエでは14→8ということで、僕も8番が一番しっくりくるんですけど、それ以降は30番とか、21番とか、44番とか大きめな番号が多かったですね(琉球の7番は違和感でした笑)
代表ではもっとメチャクチャで、ユースは13番、フランスW杯は11番、アジアカップは30番、コンフェデは21番、日韓W杯は18番と…そんな感じでした。
ふと、書いてみたくなっただけで、それだけです笑
小野伸二の名シーンBEST10
10位 高校時代の空中でトラップからのループシュート
このゴールは鬼エグイです。
ここまでうまくトラップできるだけでも凄いのに、それをそのままループでボレーを打つなんて…もう高校生のレベルではないですね。
とんでもない変態高校生です。
9位 衝撃のJリーグデビュー
そして浦和レッズでは開幕スタメンで、堂々とプレーしています。
まだ18歳にも関わらず普通に戦力化してますし、普通に岡野とか走らせてますからね笑
インタビューを見ると、天然パーマの角刈りのまだまだあどけない高校生だったんですが、大器であるのはひしひしと伝わってきますね。
そしてこの時期のスーパーサッカーの下品な解説もいいですね笑
8位 10代でA代表デビュー
上で岡ちゃんが視察しているように、選ばれるべくしてA代表に選ばれるんです。確かA代表出場の最年少記録は梅崎だったと記憶してますが、梅崎よりもガチな戦力として呼ばれていた記憶があります。
そしてこの日のプレイは雨でそこまででしたが、その後のチェコ戦?あたりのダイレクトパスとか、その辺を見て「メンバー入りするだろうな…」と思っていた記憶がありますね。
7位 18歳でW杯出場~ファーストタッチでまた抜き
そして1998年のフランスW杯、このグループは3試合目で既に明暗が分かれており、消化試合だったんです。
そんなテンション上がらない試合だったんですが、ジャマイカのドレッド野郎の何とかウィットモアに2ゴールを許し、ゴンのゴールで一矢報いた1-2の状態で、ついに伸二が投入!
そしてファーストタッチで股抜きして、そのままシュートしましたからね笑
もうバケモノです笑
6位 衝撃のワールドユース
そしてこれは20年以上経って、改めて凄いと思いますね。
やっているサッカーのレベルが高すぎるし、イングランドを子ども扱いしてますからね笑
そしてワールドユース準優勝は、コンフェデと並んで日本サッカー史の最高記録だったりしますが、出場国が限られていたコンフェデより、この大会の方が日本が頂点に近づいた感がありましたね。
そしてこの時期、小野の背番号が13番で「キング」と呼ばれていたのが非常に印象に残っています。
5位 日韓ワールドカップの鬼アシスト
そしてワールドユース以降は悲劇のケガによる長期離脱がありながらも、小野はフィールドに戻ってきて、更にはフェイエノールトで大活躍し、日韓W杯は全試合スタメン出場。
中でも初戦のベルギー戦、先制されて早々の師匠の同点弾を演出するロングパスは天才すぎますよね。
あそこを狙って蹴れる技術は勿論、あそこに蹴って師匠が足を延ばすというイメージがあってのパスな気がしますが、やはり5秒後の世界が見えているのでしょう。
とにかく、あのパスのお陰で日本は首の皮一枚繋がり、無事決勝トーナメントに出場できました。
4位 イングランド相手の同点弾
そしてこの試合に関しては次の蹴球論で掘り下げようと思っていたのですが、最高にカッコいい同点弾でしたね。
この時期のイングランドはオーウェン、ベッカム、ルーニー、ランパード、ジェラード、ファーディナンドetc..と、かなりイケてるメンツが集まり、ウイイレでも人気の強豪国でしたが、そんなイングランドに1-1でドロー!
その同点弾を決めたのは伸二!流石の一撃でしたね。
3位 アテネ五輪でのキャプテンシー
そしてこのアテネ五輪に関しても別途書きますが、オーバーエイジとして小野が招集されたのはなかなかドラマチックで熱かった。流石山本昌邦監督と言った感じです。
で、パラグアイ戦は乱戦になったのですが・・・初戦でしっかりPK2本を決めるのは流石でした。
坊主が一番似合うと思いつつ、この時期の短髪の小野もカッコよかったですね。
2位 フェイエノールト時代
そしてフェイエ時代の小野も凄かった。
この時期のフェイエは、ヨンダール・トマソンに、ファン・ホーイドンク、ロビン・ファン・ペルシ、他にカイトとか、ボスフェストとかもいた記憶がありますが、まぁまぁ普通に強いチームだったんですが、そのチームで普通に中心存在でしたね。
個人的な感覚では、ペルージャの中田英ぶりに海外で成功した選手と言う印象でしたし、そのファンタジックなプレイに魅了されました。
1位 そしてコンサドーレに来てくれてありがとう!
そして、浦和への復帰やボーフムへの移籍、清水やオーストラリアの移籍を経て、2014年にコンサドーレに来てくれてから、ここまで長いシーズンの間在籍してくれるとは思いませんでした。
一度琉球に行っても戻ってきてくれて、プロフェッショナルとしてチームの若手のみならず、全てのJリーガーからの模範になりました。
伸二、ありがとう!
まとめ
何気に、同じ黄金世代の南も今年で引退を決めましたので、もう黄金世代で現役を続けてるのもヤットくらいなのでしょうか?
改めてヤットのバケモノっぷりが際立ってますが、とにかく1つの時代が終わった感じが悲しいですね。
とにかく今の時代は俊さんとか伸二みたいな、見ていてワクワクさせてくれる選手がいない気がするので・・・是非こうした選手にも出てきて欲しいですね!
ありがとう、小野伸二!