こどもたちの名前の由来
今更ではございますが、我が家の息子たちの名前はユニークなようです。
私にとっては馴染み深く、変わってもいないのですが日本の聞きなれたお名前などからすれば、二度聞きしてしまうような名前かもしれません。
長男はチャーリー、次男はイーライ、三男はルークと言います。
というと、たいがい旦那さんは外国の方?
貴方もハーフ?などと聞かれるのですが、私もパパも日本人です。
では、なぜ私がこの名前を子供たちに付けたのか。
それは、自身の経験から「名前を覚えてもらえればこちらのもの」という名前への価値を感じていたからだと思います。
私は父の仕事の関係で、いわゆる転勤族として育ちました。
国内だけにとどまらず、海外への移動も多かった私には幼少期から「一期一会」を痛感していたし、「郷に入っては郷に従え」にも相当その土地の色に染まる方法論も肌で感じ学びとってきたように思います。
今では、人見知りを知らないオープンな人と言われるほどになりましたが、実は私、かなりの人見知りでした。
人見知りの恥ずかしがり屋。
誰も信じてはくれませんが、私の幼少期を知る人は今の私の方が不思議だと思います。
レストランなどへ行くとオーダーすらも恥ずかしくて出来なかった。
かといっても、今を作って演じているキャラでもなく、これはもう色んな術を自然と身につけ、本来の自分という殻を破った結果であると思っております。
(本来の自分の殻を破る方法については次回お話させてください。)
そして、今の方が十二分に楽しい自分と向き合えております。
そぎ落とした結果、とてもシンプルな自分と毎日こんにちは出来ている感覚に近いです。
思い起こせば、転換期は幾度かありました。
ただ大きな転換期は結構遅かったように思います。
子供を産み、親になり、責任が伴い、働く楽しさを知ってからのように思います。
自己分析によると、自信がしっかりついた時。
振り返れば、年相応に経験値と発言力に説得性が出てきた時だったように思います。
それは成功体験の積み重ねともいえ、稼ぐ力に比例して増えた自信のように思います。
年齢と同じ数の月収がもらえるようになってこそやっと一人前。
その基準を崩さずに、憧れのライフスタイルや目標設定を持ってきました。
ただのフリーランスから主婦へ、主婦からパートへ、パートから経営者へ。
私はあまり苦労説や自分頑張りました論を語るのは好きではありません。
記憶なんてものは美化してる部分も大いにあると思いますし、それを語ったところで何の参考にもならないと思っているからです。
話を戻しますが、その人生の過程の中で、名前が持つ力をひしひしと感じておりました。
私の名前はいたって何の特徴もないSHOKOという古風な日本の女性の名前ですが、英語ではSHOの発音が難しいので、ほぼほぼSYOKKOと呼ばれてきました。
その呼び名がニックネームのようになり、心地良さも今は感じております。
ですが、名前が特徴的でない分、キャラで個性を発揮し、人の印象に残る方法を勝手に身に着けていったように思います。
持論の方程式になりますが、
呼びやすく印象的な名前 or 光るキャラ = 記憶に残る = 友達が多い
ということは、単純に or が + になるだけで
呼びやすく印象的な名前 + 光るキャラ = めっちゃ記憶に残る = べらぼうに友達が多い
ということになると気付いたのが、小学生くらいでしょうか。
なので、大学生の時に飼っていたビーグル(犬)で実験をしてみたのが始まりとなり、私は名前を「ぎゅーどん」とつけました。
そしたら、みんなすぐに覚えて「ぎゅー、ぎゅー」という愛称で可愛がってくれておりました。
なので、自分の子供たちの名前は、感覚的に呼びやすく、印象に残る名前をつけたいと思っていたわけです。
加えて、国内に留まらず、世界中に友達を作ってほしい。
そうやって多様性を知り、多くの方々と関わりあって、人生を豊かなものにしていってほしいとずっと思っておりました。
英語と中国語を学ぶ機会が日常にあった私。
どうせであれば、英語でも中国語でも通じる名前にしたいと思って付けた名前が、チャーリーとイーライとルークです。
当て字の様に、発音が当てはまるようにと、それぞれの字画も調べ、最強で最高の名前を子供たちに一番最初のプレゼントをしました。
そしたら、思いがけず、名前でいじめられるんじゃないか、変わった名前ですね、などという感想もいただいたりしましたが、なんて偏った価値観の意見だと、常識とはなんぞやとそんな感想を抱く大人に呆れたりもしましたが…
結果、そのような大人も偏った環境や境遇、教育を受けた結果であるんだと思ったら、せめて子供たちにとって一番の宗教ともいえるママが輝いていくことが最もな影響力があるのではないかと思い、今の事業をスタートさせるきっかけともなっております。
というわけで、長くなりましたが、
我が家の息子たちの名前がこれからどんな形で武器となっていくのか、母親としてとても楽しみでなりません。
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